中国語映画の精鋭




写真:『不見不散』ポスター
「正月映画」の風潮
張頤武・戴蔚然(東京大学)

 正月映画とは、新年の大衆向け娯楽映画のことである。こうした映画は古くから存在していたが、中国大陸で正式に上映されるようになったのは、ここ3年ほど前からのことで、人々はこれを「賀歳片」と呼んでいる。
 馮小剛は中国大陸で、最初に正月映画を製作した監督で、目下のところ最も成功している監督の一人でもある。1998年元旦、彼の作品『甲方乙方』が「正月映画」と銘打って初めて北京で公開された。映画の内容は、何人かの若者が人々の願いをかなえるための手助けをする会社を創設したが、その仕事を通じて、彼ら自身も啓発を受けるというものであった。映画の中でのユーモラスな言い回しと、荒唐無稽な筋書き、さらに都会的な雰囲気が特に若者たちに受けた。一方、この映画は単にいくつものギャグをかき集めただけで、上品な場に出せるようなものではないという指摘もあった。しかし、この作品が陳凱歌、張芸謀に続き、中国映画にセンセーションを巻き起こしたことは確かである。
 1999年元旦、馮小剛は今度はアメリカでロケを行った新作の「正月映画」『不見不散(遥かな想い)』を正月期間に上映した。ただ、この時はすでに少なくとも他に3、4本の映画が同時期に上映されていた。どれもみな「正月映画」にあやかろうとしたのである。しかし、結果は『不見不散』の一人勝ちに終わった。この作品は北京出身の若い男女がアメリカで偶然出会い、その後いくつもの挫折を繰り返しながらもお互いに愛を育んでいくというものであった。『不見不散』は『甲方乙方』のあらゆる特色を引き継いでいたが、より完成されており、中国人の現実生活を描いたこの十年来の作品の中で群を抜いていた。
 2000年元旦、馮小剛の3作目の正月映画『没完没了』が万人の期待の中で上映された。今回の物語は北京のタクシー運転手とシンガポール人女性とのラブ・ストーリーであった。マスコミを通じての大宣伝が効を奏し、興行成績は『不見不散』を上回った。しかし、映画を見た観客は、作品におもしろみや新鮮みが欠け、1作目の『甲方乙方』にも及ばないとの失望感を漏らしていた。どうやら常に新機軸を打ち出してきた馮小剛でも、ミスを犯すことがあるようだ。果たして2001年の元旦に馮小剛はまた戻ってくるだろうか?彼と一緒に「正月」の雰囲気を盛り上げてくれる者はいるのだろうか?いずれにしろ馮小剛は少なくとも中国映画に「正月映画」を持ちこみ、その経典ともいうべき『不見不散』を我々に残してくれた。
(原文中国語)


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