中華街でニイハオ!
萌 HOH


薬袋勝代さん


 旧暦12月31日の真夜中、日が変われば「新年好!」と春節を迎える横浜中華街。直前のカウントダウンのその時、関帝廟に獅子舞が奉納される。見物の最前列にいてシャッターチャンスをねらう女性、動きがすばやい。
 国慶節、春節、「会芳亭」披露式、…獅子舞のあるところこの人あり。「獅子舞の追っかけ、中華街の追っかけがライフワーク!」と言うのは薬袋勝代(みないかつよ)さん、1964年生まれ36歳。ここ一年ほど《豆彩》の表紙を飾る中華街の写真を撮っている人。99年10月号の〈特集・この町大好き〉は薬袋さん撮影の中華街の写真で構成された。
 「どうして写真を?実は私、写真屋の娘だったんですよ。」しかしお父様は勝代さんが六歳のときに亡くなり、写真を直接手ほどきされることはなかった。「大おじの岡本三朗は『神奈川の50人』に選ばれてその写真が載るくらいの写真家で、父はその弟子で店もはやっていたそうです。写真に囲まれていた記憶はありますが、大学4年生のときに初めて一眼レフを手にするまで、自分で写真を撮ったことはないですネ。」将来のことを考え決めようとするその時、「カメラに触ってみたい、カメラの先になにがあるのか、今写真に携わっておかなければならないのではないか、と思った。」と語る。写真、それは父に会う旅だったのかもしれない。そうして撮り始めたのはなじみある中華街であった。「その時点ではプロになりたいと思ったわけではないんです。」 写真、その「すごさ」に出会うのはもう少し先の話になる。
 「理想はたまご、開けたら何が出てくるかわからないたまご。いつまでも夢を見ていたかった。」京浜(現・鎌倉)女子大の家政学部食物栄養学科を卒業し、1年間メーカーでOL生活。会社をやめて念願のデザイン学校へ進む。「小さい時から夢は漫画家。絵を書くことが好きでそれで一本立ちできないことは分かっていたけど、その時やらなければ後悔すると思った。」昼間はアルバイトでポップ広告を描き夜間の学校へ1年通う。
 その後、本格的に写真に取り組むため日本映像学院に入学し、卒業後は同校校長・報道写真家浜口タカシ氏に師事する。「この先生すごい写真撮るんですよ。目が点になります、『うま〜い』と思う写真を撮るんです。報道写真を撮ってきた人で、写真に訴える力がある。中国残留孤児を撮った写真など緊迫感があり見たら泣いちゃいますね。人の表情がいい、シャッターチャンスよすぎます。こういう写真を撮りたい。」
 目標が定まった、あとは写真一筋。「獅子舞は、練習の苦労はわからないけど、見ていていっしょに感動できるんです。」この感動を心に、以来写真のテーマは〈獅子舞〉〈中華街〉。
 90年に神奈川二科展・二科賞受賞、92年個展「横濱・關帝廟」「YOKOHAMA・CHINA-TOWN」、93年グループ展「女の視点」、95年個展「横濱關帝廟」、と矢継ぎ早に発表の機会を得る。自ら取材して中華街の案内書も出版し、99年には神奈川新聞に『中華街追っかけマニュアル』を約1年間毎週連載してその才を発揮した。
 中華街の取材を続けるべく時間を自由に取れるようにと、生活は、高校時代から続ける横浜市内の神社でのご奉仕とポップ広告描きと皿洗いが支える。こんな勝代さんの一番の理解者は浩さん、3年前に結婚した。
 「写真に人生かけちゃったかな私は、と思うんですよ。特に中華街の写真についてそう思います。」「ひたむきに撮る。自分が感動することが大事で、その感動を結果的に写真を見る人に伝えられればいいな、と思っています。」「ひしひしと心にしみこんでくる写真が撮りたい。強烈なインパクトを与える写真というより、かみしめると心に残り、3日くらいたつと『そうなのか…』と思える写真を撮りたいですね。獅子舞でそういう写真が撮れればそれが一番。」
 次の個展を楽しみにしよう。
   (インタビュー 新倉洋子)






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