世界の街角で
天空の地、チベット
ギャンツェの城

文/写真/イラスト  加藤暖子

 チベット第一の都市ラサは標高3650mである。空気も薄く、少し速足で歩くとすぐに息が切れてしまう。しかしカラッとしていて気持ちがいい。
 ある日、映画を観に行った。『紅河谷』というチベットが舞台の中国映画である。その映画は中国の大都市では評判がよく、マスコミもこぞって取り上げ、評論家たちも大絶賛だった。私も本場チベットで鑑賞して大感動する予定だった。ところが映画が始まると皆「違う!」「そんなバカな!」的なヤジを飛ばし始めた。さあここで感動してくださいよという所では皆ゲラゲラ大笑いである。きっと外国映画に出てくる日本人像がいまだ結構滑稽だったりして、日本人が笑ってしまうのと同じであろう。内容は完全なプロパガンダ映画であった。チベットで観られたのは、感動はなかったがおもしろい経験ではあったと思う。

 チベット人の印象は、私の先入観とはかけ離れ、とても陽気な人が多かった。シガツェという土地に行った時のこと(ラサからバスで西へ8時間)、バスにとても陽気な尼さん8人組がいた。私が日本人だとわかると昼食に誘ってくれ、彼女達が持参していた精進のカレーやパン、バター茶などをごちそうになった。彼女達はバスの中でもムードメーカーで、冗談を言ったり、歌を歌ったり、とにかく賑やかだった。彼女達のおかげでとても良い気分でシガツェに到着した。…が、着いてすぐに私は自分の不注意で財布を無くしてしまった。彼女達も一緒に探してくれたが、いつまでも私の財布探しに付き合せるのは忍びなくなり、ごく丁寧に断った。彼女達はすごく心配してくれて、「本当に困ったらタルシンポ寺に訪ねて来なさい。」と言ってくれた。結局財布は見つからず、とりあえず小さな宿を見つけたのでひと休みすることにした。宿のおばさんは私の事情を聞くと、いきなり見ず知らずの私にお金を貸してくれた。「欧米人だったら貸さないよ!」と冗談ぽく笑いながら言った。
陽気な尼さん、バター茶を作る


 チベットに旅行で訪れる欧米人の評判はすこぶる悪かった。チベットは民族衣装や、五体投地(字の通り自分の身体を地面に投げうって祈る)、鳥葬(亡骸を鳥に食べさせて葬る)といった独自の生活文化がまだ色濃く残っている。私も自分のすぐ横を五体投地で進む人に何度も出くわした。五体投地は実際に見るとショックで圧倒される。ある日、白人のお年寄りのツアー客がチベットに入ってきた。五体投地を目にした白人達は口々に「アメーイジング!」などと大声で叫び、カメラを彼らの鼻先に構えて写真を撮りだした。地面と同じ色になって祈る彼らに向かって金を投げつける者までいた。常識があって当然である年齢の彼らの取ったこの行動は、第三者の私から見ても吐き気がした。この手の一握りの人の心ない行動が、彼ら白人全体の印象を悪くしてしまっているのだろう。救われたのは、金を投げつけられたチベット人が、その金を受け取らずに、白人をにらみかえしたことである。
ラサの露店


 ラサには彼ら白人相手の食堂が数軒あった。一度そこでお茶をしていると、店主らしき男が私の所に来て唐突に言った。
 「カツ丼に長葱入ってる?」
 『カツ丼』?一瞬耳を疑った。彼はカツ丼の作り方を全部教えてくれと言ったので、教えた。とはいえ私自身作ったことがないので、私が教えた作り方は結構まゆつばものである。
 チベットでの1ヶ月、私は空を見上げることがとても多かった。標高のせいか、空と自分がとても近いのだ。私がラサで泊まった宿は安いが(1泊日本円で約400円)、中庭側にせり出したベランダ兼廊下は日光浴するには最適で、私はそこで毎日日光浴をした。夜8時を過ぎても明るく、よく停電する部屋よりも、外の方が本を読むにも手紙を書くにも便利だった。夜は、本当に今にも星が降ってきそうな満天の星空で、月も明るい。空が近くてよくないことは2つだけ。紫外線が強くすぐに日焼けしてしまうこと、気圧が低く圧力鍋を使わないと米に芯が残ってしまうことである。

 例の食堂に行ってみた。まさかとは思ったがやはり、メニューには『KATUDON』の文字。もちろん即注文である。店主がじきじきに、しかもちょっと自慢げに持ってきたそれは、本来のカツ丼とは全くかけ離れた見た目だった。さらに、怪しい色のスープも付いている。「やっぱ、そうだよな…」と、少しがっかりしながら食べてみると、あら不思議!味はなんと日本のカツ丼そのものだった。米に芯もない。スープも恐る恐る飲んでみて更にビックリ!どこをどうしても日本のみそ汁の味そのものである。恐るべしチベッタンマジック!
 カツ丼の登場は、日本人観光客も増えてきた証拠である。チベット人に「日本人はなかなかいいヤツだな。」と思われるような旅行者になりたいと思った。

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