中華街でニイハオ!
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伊藤泉美さん


 世界最大の客船オーロラ号横浜港大桟橋に接岸…」、この大桟橋の入り口に位置する横浜開港資料館は、旧英国領事館を舞台に開港以来のヨコハマを今に伝える。
 現在、展示室二階で《追憶の横浜―絵葉書に見る百年前の人びとと風景―》を開催中(4月22日まで)。同館所蔵の約2万点の絵はがきの中から20世紀初頭に制作された約200点で横浜を紹介するもので、歴史・人々の暮らしが切り取られてそこにある。大型客船の着く大桟橋、石造りの建物が並ぶ横浜居留地と行き交う人びと、中華街大通りにたたずむ少年、…。
 展示を企画から担当したのが調査研究員伊藤泉美(いとういずみ)さん、1962年生まれ38歳。
 「小さな絵はがきや写真ですが、ここに写る建物・看板・市電、みな貴重な歴史資料なんです。こうした画像資料のデータベース化にもこれからは力を入れていきたいですね。」
 開港資料館は81年開館。研究スタッフは10人ほどで、「歴史的」文書・画像を調査、収集し、整理して公開している。「開港資料館は歴史文書を扱うところですが、現代のものも100年経てば歴史資料です。町は住んでいる人が作る。その歩みを残し、市民が歴史に参加し、行政をチェックするためにも、文書館の存在は民主主義の基本です、必要なんです。それなのに現在、「今の」資料・公文書を集める手段・組織が横浜市にはないのが残念ですね。」

 伊藤さんは横浜中華街・華僑の研究者として知られる人。「横浜中華街の形成と発展」、これはお茶の水女子大学に提出した修士論文で、幕末開港期以降関東大震災ころまでの横浜華僑社会の形成・発展を論じた。大学生のころからここ開港資料館の資料整理を手伝ってきた伊藤さん、「近くにある中華街を歩いていてふと、この町はいつからあるのかしら?と思ったんです。中国に興味があり中国史の勉強をしていながら、この地元の中国人の歴史を知らない、ということにびっくりしたんです。ところが調べてみると書かれたものがほとんどない。ならば自分で調べてみようか、と始めたことでした。」「調べていけばいくほど、開港以来の横浜の歴史に中国人の果たした役割が重要だったことがわかったんです。開港時、入ってきた外国人の6〜7割は中国人で、その役割も政治・経済・文化の面で大変重要です。そうした中国人の姿がなければ横浜の開港の意味も居留地の姿も全体像が間違ったものになってしまう、実像からかけ離れたものになる、と思ってほそぼそとやってきました。」
 94年には横浜中華街と華僑の歴史を振り返る企画展《横浜中華街―開港から震災まで》を実現させ図説を出版した。
 行動する伊藤さん、パワフル!中華街の街づくりに協力して、中国文化・中華街を紹介する展示スペース「九龍陳列窓」の企画運営に携わる。一方、今あるものを資料として残すべく「横浜華僑華人研究会」を始動させ、丹念に一次資料を掘り起こし、ヒヤリングをして記憶を記録に残すことに力を注ぐ。「いっしょに作業することで街の人が見えてきます。」
 「つれあいも料理好きですよ。鍋物や、特にカレーはおいしい。」おつれあいは、同じ中国近代史を研究分野とする研究者の飯島渉さん。「同じ専門分野といっても微妙に違いますからそのことは気にならない。むしろ、お互い突っ込んで、辛辣な批評や貴重なアドバイスをもらえるのでいいですよ。ただ、『こんなことも知らないの?』という顔をされるとカチンときますけど。」
 「『私の名前は伊藤泉美』と思っています。名前はアイデンティティーにかかわるので変えるのは拒否!デス。名前が変わると研究の連続性という意味でも不利益が生じます。」
 今、準備に時間をかけた『華僑・華人事典』の横浜部分の原稿執筆に追われる。10歳のシベリアンハスキー、凛と遊ぶのが最良の気分転換。「美人で優しいんですよ。」口元がほころんだ。
   (インタビュー 新倉洋子)



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