(No.26-2001.4)【曽徳深】


 父は15歳のとき、中国広州から単身横浜にやって来た。82年前のことである。親戚の貿易商に見習として入り、6、7年して結婚のため広州に帰っている。戦前、国に帰ったのはこの一度だけらしい。1972年に日中国交正常化後往来が自由になったので、晩年、頻繁に国に帰っていた。仲間と連れ立って1か月ほど旅行して帰ってくると、出かける前より晴れやかな表情になっている。長旅の疲れがたまっているはずなのだが、そうでないのが不思議であった。
 一度だけ父の祖国旅行に同行した。妻と幼稚園児の娘も一緒だった。広州に着いて、父がむかし暮らした場所に案内してくれた。市内を流れる珠江をまたがる大鉄橋を渡った所だった。「あそこに自分の家があった」と指した先を見ると、道路より少し下がった所の空地だった。年恰好が父と同じぐらいの男性が投宿先のホテルに来た、同姓で田舎を同じくする人らしい。2人は昔話で、私の祖父は広州市から200キロほど北にある山の中の村からこの省都・広州にやってきたと言う。父が子供のころ祖父とその村に里帰りした時のこと、途中の山道で山賊に襲われ持物を盗られてしまった、村にたどりついて親戚にその話をした、すると翌朝、盗られたものが戻っていた…。
 「衣錦還郷」は、海外華僑が成功して故郷に錦を飾ることを表す言葉である、が父の祖国旅行はどうもそのように見えない。家はなくなっているし、親戚は言うに及ばず、知り合いも寥々として幾人もいない。それでも故郷の大地を歩き回って、父は満たされて帰ってくる。


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