中国現代絵画の20年
叶浅予(1907〜1995)

川浦みさき(画家)

『孔雀舞』

 北京中央美術学院のカリキュラムは、三本の柱に分けられる。第一は臨 、山水画科では宋元・明清代の優れた作品を模写する。第二は写生、自然を師とする、という考えに立ち、自然を観察し題材を見つける。第三は創作、第一で得た技法と第二の写生力とを合わせ作品を創り出す。9月の新学期から1か月は教室で模写、10月・11月は写生旅行、12月・1月は創作、春節あけの3月・4月に模写、5月・6月に写生旅行、7月・8月に創作となる。何より感激したのは、2か月に及ぶ写生旅行であり、私は85年秋の桂林、86年春の黄山、秋の太行山、87年春の貴州旅行に参加し、この旅を通して写生(生を写す)とは何かを考えることができた。
 86年春の黄山旅行は、北京から直接黄山に向かうのではなく、まず上海に出て、蘇州、杭州で写生、富春江を小船で上り、新安江の湖に出て、歙県で硯、墨工場見学、古い街並みを写生した後、黄山に登る、というものだった。富春江は元の黄公望の名画「富春山居図」に描かれた、水は青く緑豊かな地である。そこに著名な人物画家、叶浅予老師の家があった。叶浅予は「四人 」打倒の後、病気療養のために、北京から故郷の富春江に戻った。中央美術学院で人物画の指導を長く続けていたが、故郷の山水・草木に触れ、その景色を描くため富春江の「老家」に滞在していた。そのため、私達写生旅行一団も、叶浅予宅をお訪ねすることができた。
 叶浅予は端正な顔だちで、瞳が大きく鋭い眼光を放っていた。視線が合うと射ぬかれるようで、つい目をそらしてしまうほどだった。学生が「写生で一番大切なものは、なんですか。」と尋ねると、強い目で私達を見つめすぐに答えた。「カメラをしまいなさい。」その一言で、顔の赤らむ思いがした。写生のための旅なのに、私は肩にカメラを掛け、スケッチブックとペンをリュックに入れていた。
 叶浅予は優れた速写(クロッキー)の技量を持っており、瞬時に人の動きを捉えることができた。舞踏人物をよく描いているが、それは「黙写」という、形象と動きを正確に覚え再現する力を備えていたからだ。その線は簡潔で、足すことも削ることもできない。彼はこう書いている。「一本の小さな筆は、わずかな重さしかない。しかし手の中でそれは千斤の重みを持つ。筋力では動かすことはできない。どうすれば心のままに筆を運ぶことができるだろうか。」
 叶浅予の言葉を聞き、あわててカメラをしまう私達に、彼はこう続けてくれた。「目で覚え、そしてペンを持ちなさい。それで良い。」

川浦みさき ホームページ
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