中華街でニイハオ!
薫 KUN


張作芳さん・陳效明さん


 中国料理で「あん」といえば、何に使われている?そうまんじゅう!月餅!人気急上昇「ゴマだんご」!八宝飯!コース料理の最後に出る甘い菓子!
 陳效明(ちんこうめい)さんはあんを作るあんこ屋さん、1947年生まれ、54歳。7歳年下の奥様、張作芳(ちょうさくほう)さんと二人三脚でひたすらあんを練ること21年、横浜中華街の「味」を陰で支える。
 10坪ほどの作業場に直径90センチの半円球の銅製なべが4つ並ぶ。混ぜるのは堅い木のしゃもじ。「一般的にはステンレスのなべにステンレスのしゃもじ、これでは水分がうまく飛んでくれない。蒸気を熱源にするのが多いね、おいしくないよ。」なべの下は直火。窓を開け放し、換気扇はあるものの夏には40度以上にもなる部屋で、陳さんは1人Tシャツ一枚で奮闘する。「皮膚が熱くなってのどが乾くと、作業場から出てきて水を飲み体を冷やしてシャツを替えてまた作業場へ、です。」
 一なべで50キロ近いあんを作る工程は、一見、単純。砂糖と水をなべに入れ火にかけ沸騰させる、あずきを入れて油を入れて練る…。火を着けて2時間以上、香りをかぎ、なべの音を聞いて、火を調整し油を調整する。「この音だとまだ水分がある…。」「天気によってできあがりが違ってくる。冬は油が足りないとあんが固くなるし夏場は油が浮いてくるので、季節や温度湿度で調整するんです。」
 「あん」と一口にいっても、なじみあるあずきのほか、栗・ハス・ナツメ・ゴマ、とバラエティ豊か。
 「準備が大変なのはナツメ。ナツメを煮るでしょう。熱いうちに布の手袋その上にゴムの手袋をして皮・種を取る、そのあと裏ごし。裏ごしの仕方も納める店によって変えるの、ある店はほんの少し皮が残るように、とか。元の10キロのナツメが、できあがると6キロほどにしかならない。ナツメは種が突き刺さって手が傷だらけになるから、それで二重に布とゴムの手袋をするの。最近人気あるのは栗あんね。」奥様の張さん。
 もともと、あん作りは張さんの実家の家業でもあった。中華街の実家(三陽貿易)の父・張蘭芳さんが病気で倒れたのは、陳さん夫妻が結婚し息子さんが2歳のころであったと言う。店で働いていた2人は独立して、あん作りを仕事とする。初めは浴室にブロックを敷き、かまを1つ。「お金もないからかま1つ、夜も機械を止めないようにして、2人どちらかが見ていた。夜中も交代で寝て、働いてたの。」「前に20キロ、後ろに30キロ乗せて、中華街くらいなら自転車で配達しましたね。3、4年はそれでやっていた。」このきゃしゃな奥様のどこにこんな力があったのか…。「生活がかかっていたからね。」と笑う。
工場ができた90年 陳さんと張蘭芳さん
 卸会社「萬新」を設立して20年。10年前にはこの工場のあるビルを建てた。「マイナスからの出発で子どもも小さかったから大変だったけど、若さで夢中でやってきたの。」今、取り引き先は横浜中華街のみならず全国に約100軒。中華街にはほかに2軒のあんこ屋さんがあるそう。 
 ところで陳さんの作るあんは日本の人が作る「中華のあん」と何が違う?「うちのあんには〈鍋気〉(広東語でウォヘイ)があるの。鍋気って火力。火の強さというんじゃなく、火力がなべを通して素材に与える作用、かな。それが違う。」…?!「よくあるのは、油をたくさん入れて混ぜるだけ、うちのは直火で練っているから香りが出る。大量生産には向かないね。」「中華あんにはラード、といわれるけど体に悪いからうちのあんにはサラダ油。料理店が按配できるように甘さ控えめヨ。」
 陳さん、「腰痛は職業病だな、50キロ持つから。」180センチの頑丈な体に笑顔が乗る。
 「あんはお菓子の真ん中にあって心みたいでしょ、外からは見えない。私たち、そのあん―心を大事にしているつもり。」「うちは心が金持ちなのと明るいのが取り柄ね。」朗らかにママも笑った。
   (インタビュー 新倉洋子)



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