世界の街角で
宜興で茶壼(チャフ)づくりに挑戦
宜興紫砂工芸廠・茶壺の作業場

文/七七子 イラスト/加藤暖子

 紫砂とは日本の「常滑」に似た「土」で、その土で作った紫砂器の中でも特に茶壼(急須)は有名。この茶壼の本体はろくろで成形するのではなく、たたいて板状にした土から作る。
 宜興は昔から紫砂器を産する有名な町。宜興へは太湖周辺の上海や無錫、杭州から汽車や車を使う。私は杭州から車で宜興へ入ることにした。
 その日は霧?のせいか宜興の町は杭州の緑豊かな色彩のある町とは正反対に、街も空気も名産品である紫砂泥の色のように茶色く、セピア色の町だった。
 紫砂器は宜興市内から車で20分ほどの丁蜀鎮という町で盛んに作られている。町にはりっぱな陶瓷博物館があり、ここには有名な作家の作品が数多く展示され、まさに必見。また、町の至る所に紫砂器工場があり、宜興伝統のブランド「方圓牌」を生産する「宜興紫砂工芸廠」もここにある。この方圓牌ブランドの茶壼は世界中の中国茶を愛飲する人々に特に支持されていて、その理由の一つは使われている紫砂泥にある。伝統にのっとった、この工場独特の配合の土で作られた茶壼は通気性と保温性に優れ、その茶壼で淹れたお茶は、味の中に香りが凝縮されまさに格別。
 もう一つの魅力は茶壼の多彩なデザイン。特に作家物は作りも精巧でデザインは繊細かつ芸術的、また文学的要素が表現されたものも多く、価格も高価。作家は1個の茶壼に1か月〜3か月の時間をかけ、あるものは1年かけて作るという。
 この工場では、そんな作家物のほか、歴史的名品のレプリカや、あるいは作家や工芸師たちがデザインした茶壼の型を手本に、一般の人でも手が届く価格の物を受注生産している。だからといって機械で大量生産するわけではない、全て一つ一つ手作業で作る。もっとも、低価格の物には量産用の石膏枠(「模型」という)を使った型取りのものもあるが、それでも手作り。
 宜興を訪ねた私は、幸運にも「茶壼作り」を体験させてもらった。「模型」を使って。
 まずはパーツごとに必要な泥片を大きなつち状の「泥垂」でたたいて均一の厚さの板状にする。これが結構難しい、均等にできるようになるまで1か月はかかるとか。この他にも特殊な技術を要するので職人も5年以上修業しないとこの工場では茶壼を作らせてもらえない。
 泥板ができたら「模型」に紫砂泥を指で強く押し込み、注ぎ口とふたを作る。この押し込むときの指の強さが足りないとヒビや亀裂が生じる、そのたびに泥片を練ってはたたきなじみやすくしなくてはならない。次に泥片を手の腹でさすって取っ手を作る。ここまでは素人の私でもなんとかできた。しかし問題なのは本体作りである。
 丸く延ばした底板に、本体にする長方形の泥板を筒状に張り合わせる。
 まるで茶筒のような形のその中心部分に丸みを付けてから模型にはめ込むが、まず四角いしゃもじのような道具で中心部をパンパンとたたいて茶壼の丸みを出していく。がしかし、何十分たたき続けても丸みがでない、見るに見かねて工場の人が手を出しパンパンたたき始めたらほんの数分でできてしまった!まるでマジックを見ているかのよう。と、ここまでが体験教室の「体験」部分で、この先はまるっきりの「見学」。本体ができ上がると上部を一度丸い泥板でふさぎ、その上にふたを置く。ふたを置いたまま、コンパスのようなもので口の部分を開ける。あとは注ぎ口や取っ手などをくっつけ、そのつなぎ目や茶壼の肌を、動物の骨を薄く削って作ったヘラでならして完成、つやが出た。
 結果、工場の人たちの手でなんとか完成した「私の茶壼」は、焼いてから日本へ送ってもらうことになった。
 帰りがけに工場の人が「日本で紫砂器を広めてね」と紫砂泥と紅泥の泥片を私にくれた。
 あれから2か月、いまだ私の手元にその茶壼はない。恐らく「私の茶壼」は1200度の高温に耐えられなかったのだろうと半ば諦めている。帰りがけにもらった泥片は茶壼の代わりに私のよき記念品となった。

目次ページへ戻る


【oisii-netホームページ】