中国現代絵画の20年
張凭(1934〜)

川浦みさき(画家)

〈桂林甲山〉『張凭山水画集』

1982年8月、初めての中国留学を終える時、中央美術学院の老師は、「1年では短すぎる、またいらっしゃい。」と見送ってくださった。寮の師傅や同級生も、「すぐ帰ってくるんでしょう。」と言ってくれた。北京の生活にも慣れ、友人も増え、講義も聴き取れるようになったころの帰国だった。私は、自分の半身を中国に残して発つ気持ちで、日本に戻った。「今度は山水画を学ぼう」と決めていた。
 85年、希望通り同学院の山水画研究生となった。授業は、模写、石の画を手本としての線描練習から始まった。手本を見て描くことに不慣れな私は、校庭で形のよい石を見つけて持ちかえり、手本と並べて置いて描いていた。老師は、私の絵を見ながら「線が弱い」と繰り返し、筆を取って「これが骨のある実の線」と示され、「ここは流れが滞っている。」と丁寧に指導してくださった。だが、勘の悪い私は、実はあまり理解できてはいなかった。
 大きな収穫があった、と実感できたのは、写生旅行だったろう。中国人研究生と留学生計8名の、10月の写生旅行は桂林、同行してくださったのが張凭老師だった。張凭老師は、李可染の弟子で、積墨という線と点を何層も重ねていく技法は師の画風に近かった。桂林の公園や小船に乗っての漓江のスケッチ、最も美しいといわれる興坪で、河原に座り、奇岩に囲まれ、その場で墨をすり、画宣紙を広げて描いた。それは初めての経験であり、「あれもこれも描きたい」と気持ちがはやった。しかし、張凭老師の口癖は「慢慢(ゆっくりゆっくり)」だった。私が「さあ終わった」と、場所を移そうとすると、「あわててはいけない。」と止められた。失敗した、と思い捨てようとすると、「まだ途中だ」とまた止められた。「描き直します」と言うと、「救う方法を考えなさい。」との答えが返ってきた。
 何日目か、張凭老師の「表演」を見るため、学生達がみな集められた。老師は「あの岩を描く」と、筆を持った。その動きを見つめるが、あまりにゆっくりであるため、止まっているのかと思えた。やがて少しずつ線が伸び、徐々に岩の輪郭が現れた。そしてその一筆一筆に、とても大きな力が込められていることが、紙に当たる筆の音の強さでわかった。
 「力透紙背」という言葉がある。紙の裏まで透る筆の力を表す。一気呵成に引かれた線の強さはわかりやすい。しかし緩慢に見える筆の運びが、これほどの強さを生み出すのは驚きだった。私は、自分の線が上滑りであることにようやく気づいた。
 写生旅行の後、創作の授業で私は桂林の写生をもとに、作品を創った。張凭老師は、少し笑いながら、こう批評してくださった。「強く実のある線だが、実ばかりで変化がない。虚の線がなくては。」線一本の意味は深い、と今でも感じている。 

  川浦みさき個展
10月1日〜10日 Kアートスペース(045-662-1671)にて
新刊!『川浦みさき画集・シルクロード―墨の風景―』(日貿出版)

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