川浦みさきさん
 イーゼルを立てスケッチをする20名ほどの老若男女。視線の先に京劇俳優魯大鳴さんが「小生」の衣装を着て座る。緊張した空気がみなぎる。ここは文化センターの絵画教室。川浦(かわうら)みさきさんは絵を一つ一つのぞき込み、構図や色をそっとアドバイスする。「『こうしなさい』ではなく、描く人の感性を大事にしたい。」
 川浦みさきさんは画家、1959年生まれ42歳。アトリエにこもって水墨画を主に創作する傍ら、東洋美術学校・昭和女子大オープンカレッジなどで水墨画を教え、また中国美術史の翻訳に携わる。この『豆彩』に「中国現代絵画の20年」を掲載中。 川浦さんは今年5月、中国では初の個展となる「絲綢之道(シルクロード)画展」を、かつて水墨画を学んだ北京中央美術学院美術館で開き、永年の夢をかなえた。
 「油絵や写実的な洋画の遠近法と違い、自然を描く山水画では描いている人の視点が画面を動く、山水画のこうした伝統的構図法は魅力的でひかれます。その構図法と、それまで学んだ油絵を組み合わせた表現ができないかと思ってきました。」中国で学んだものを中国の人にどう受け取ってもらえるか、不安もあった、と言う。「構図の取り方が中国人の描く山水画とは違う、斬新だ、とか、こういう描き方があるんですねおもしろい、と言われました。好きな描き方で描いてきて、これでいいんだなと思えました。」そうおっとり語る。
 もともと油絵を描いていた川浦さん、転機は横浜国立大学在学中の81年に訪れた。(旧)文部省の海外派遣留学生として北京中央美術学院に1年留学する。「西洋絵画とは異なる中国の絵画史を学ぶことが、油絵を描くのに役立つのではないか」という思いであった。そしてこの地で水墨画と出会う。「墨にこれほどの表現ができるものか、と衝撃を受けました。5千年の伝統ある中国絵画がどれほど奥深いものか、知ったのです。」日本で大学院を終了後、今度はこの水墨画を本格的に学ぶため、再び同学院に留学する。模写、2か月に及ぶ写生旅行、創作、これを繰り返し、2年学ぶ。「水墨画の素材は水と墨だけ。一点置いたら消せない、そこに魅力を感じます。描いていて楽しいです。」画家では清代初期の八大山人にひかれる。「八大山人の絵は、線や墨の色がこれ以上減らせないという極限まで簡潔な状態の絵。こういう絵が描きたいというのではなく、これだけの絵が描ける力を持ちたい、こういう絵が描ける人間に成長したいなと思います。」
 「小さ〜いころから、展覧会に連れていきますと人をかき分け前のほうで『しゅごいねぇ』と言いながら見ておりました。興奮してしまって、帰ってくると決まって熱を出すんです。」と、幼いみさきさんを語るお母様、川浦麗子さん。彼女自身日本画を描き、横浜山下公園近くに画廊を開く。

かつて教えを受けた張凭老師と
(北京の個展会場にて)
 2001年は、みさきさん充実の年になった。北京での個展開催をきっかけに、この10月に初の画集が出版された。「川浦みさき画集・シルクロード―墨の風景―」(日貿出版A4変型¥2500)。出版を記念して個展が開かれる。期間は10月1日(月)〜10日、場所はKアートスペース(横浜市中区山下町1シルクセンターB1、電話045-662-1671) シルクロード、それはみさきさんの一貫した絵のテーマ。最初の留学の時、2か月をかけてシルクロードの西安、敦煌、新疆を写生旅行して得た印象は、今に至るも深い。「自分たちの暮らし、文化を守りながら、他の文化と交流し国境のない考え方をする人々…、シルクロードは風景もそこに暮らす人々も魅力的です。特に砂漠の中の莫高窟の壁画は、美術史からも私の絵の出発点ということからも重要な場所。」今、みさきさんは時間をぬって一人で写生旅行に出かける。シルクロードをたどり、中国国内はもとより西へ西へ。インド・パキスタン・カシュガル・トルコ・イタリア…、旅は続く。
(インタビュー 新倉洋子)



目次ページへ戻る


【oisii-netホームページ】