(No.29-2001.10)【曽徳深】


  「上海がに」は秋の珍味として、今でこそ日本でも知られるようになったが、私が輸入を始めた25年ほど前は、上海出身の華僑か一部食通の間でしか知られていなかった。中国の江南地方の河川や湖に生息する淡水かにで、秋から初冬に産卵のために河口に向かう、その通り道に竹で編んだ100mに及ぶ大きなやな(大閘)をしかけ、たいまつを燃やす、その灯火をめがけてやなにはい上がってきたところを捕まえる。大閘で捕るかに(蟹)だから「大閘蟹」と呼ばれる。蘇州近くの陽澄湖産が有名で、かつて陽澄湖沿いの水産会社で昼食に出された蒸しがには、鮮やかな朱色で、足の毛は金色に輝き、まさに赤い官服を着て宮殿に上る「紅袍登殿」の表現ぴったりの堂々とした風格であった。味は絶品!
 農暦(旧暦)9月はメス、10月はオスがおいしい。9月メスの卵巣も肉も太り、10月はオスの白子と肉が肥えるのである。必ず活きたかにを調理すること。かには寒性のため、熱性や温性の生姜やにんにくをつけて食べ、あるいは適当に酒を飲む。大閘蟹と鎮江醋そして紹興酒のトリオは、まさに天の絶妙なとりあわせである。
 10月・11月の火曜と金曜の夜、新光貿易の事務所に三々五々お客が集まってくる、上海の人がほとんどで、毎回横須賀から駆けつけてくる人もいる。空港からのかにを待つのである。待つ間に、どこそこの産地の味がどうの、姿形がどうの、光を当てるとかにが気張り痩せてしまうので、濡れタオルをかけ冷蔵庫に入れて眠らせたほうが良い、とかのかに談義に興じる。萬順行のおやじさんの仇さんは、毎回オスだけを6匹選ぶ、ピータンのかめに入れ、一日の仕事を終えると、2匹蒸かし、ブランデーをなめなめ1時間、2時間と秋の夜長を過ごすという。
 いずれも20数年前のことである。仇さんや幾人かの人は今はいない。上海がにの季節になると、彼等が記憶のかなたから現れる。


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