賈又福(1942〜) 川浦みさき(画家)

〈太行豊碑〉『賈又福画集』

 1985年秋、私は中央美術学院の研究生とともに、北京郊外の農村を訪れた。外国人には開放されていない地域であるため、「広東人」ということで、農家に泊めていただいた。かわら屋根と格子戸、軒に吊るされたとうもろこし、庭に積まれた薪とわらの束、並んだ農具、秋の農家の風景は、不思議に懐かしかった。乾いた風は身を切られるほど冷たかったが、室内のオンドルがより暖かく思えた。おかゆとマントウ、さつまいもの1日2食の質素な食事、これは同行した学生たち、北京という大都市で育ち、農村での労働という下放体験を持たない世代の彼らにとっても、貴重な体験であったろう。「山紫水明」の美しさとは異なる、北方の農村風景、大地とそれに根ざした農民の生き方に、多くの若者がひかれていた。ちょうど、「黄土地(黄色い大地)」という映画に人々が衝撃を受け、「走西口」という歌が流行したころだった。
 翌年の秋、太行山脈という大山脈の一角、蒼岩山を訪ねた。太行山での写生を勧めてくださったのが賈又福老師であり、そこは老師の故郷だった。険しい山のふもとに、それに抱かれるようにヤオトンの農家が並んでいた。 賈老師は留学生の模写の授業を担当されていた。その指導により私が初めて模写したのが北宋時代の山水の代表作、範寛の「渓山行旅図」だった。そびえ立つ山を真正面から捉えた構図で、山崖の質感は一筆一筆を重ねていく、直筆の筆法で表されていた。これは賈老師の画法でもあった。また、黄大地に生まれた範寛が北方の山を描き続けたように、賈老師も故郷の山、太行山の風景を描き続けていた。特に、夕暮れの山と雲、夜の山と月、冬の山村を描いたものが多いが、それは農家に育った老師が、幼いころからいつも見ていた心に焼きついている風景なのだろう。
 作品を見せていただくため、学院内にあるご自宅にお邪魔したことがある。室の壁には描きかけの作品がすき間なく貼られていた。「完成にはまだ何日もかかる。」と、指差した画面は、どこに筆を加えられるかと思うほど描きこまれていた。だが老師は、「光点が多すぎる。」と、いくつかの部分を指で隠した。農村の夜の暗さは、訪ねて初めて実感できる。恐怖を感じるほど闇は深く、月の光だけが湖や道をわずかに照らす。賈又福老師の画は、幻想的であり詩情にあふれているが、過酷な自然体験に裏打ちされた描写は、研ぎ澄まされ、安易な感傷を許さない。そこに描かれている風景は、実景でもあり、賈老師の心象風景でもある。そして私は、今も、中国の農村でも感じた不思議な懐かしさと憧憬の念を抱きながら、賈老師の作品を見つめている。              

  新刊! 川浦みさき画集『シルクロード‐墨の風景‐』(日貿出版)

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