包(パオ)/包む




 初めて北京へ行った時、友達の先輩が大使館に勤めていて、私たち、貧乏学生は何度かご馳走になった。後で「何がおいしかった?」と聞かれ、思わず「餃子(ギョーザ)です。」と答えてしまったのだが、それを聞いていた同僚の方が「そんなのしか、ご馳走してもらわなかったの?」とあきれたのは言うまでもない。先輩が苦笑されるのを見て、ようやく先輩の面子をつぶしてしまったらしいことに気がついた。高価なお料理もご馳走になっていた。それなのに、街のどこでも売っている庶民的な餃子が一番おいしかったなんて…。その時の水餃子は、餡(あん)はもちろん、厚い皮がすばらしかった。こしのあるプルプルした皮の表面に黒酢がからむと、深くまろやかな酸味が広がり、口の中で干エビのダシが効いたスープがあふれ、餃子って、本当はこういう料理だったのか、と驚かずにいられなかった。
 餃子は、皮に餡を包み込んで作るけれど、その、包むことを「包(bao)」という。「餃子を作る」は、「包餃子」だ。餡のおいしさを閉じ込めつつ、皮もおいしい。あの厚い皮のおいしさが忘れられなくて、帰国してから、ずいぶん「包」の練習をした。おいしい皮の餃子が食べたい一心で。…それにしても先輩、あの時はごめんなさい。でも、本当においしかったのです。
〈浅山友貴〉



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