高金龍(1953〜) 川浦みさき(画家)

〈亜熱帯之夜〉『百傑画家・高金龍 作品精選』

 春節のころ、いつも中国の南方の風景を思い出す。深々と底冷えする冬の北京から逃げるように、私は長い「寒暇」を江南や広州、雲南で過ごした。1月から2月の春節の冬休み、中国の学生は故郷に帰り、久しぶりの家族団欒の時を過ごす。農暦12月31日の「過年」の夜から、1月15日の元宵節までは、1年で一番華やかに彩られるころだ。桃の花や蓮華をかたどった灯籠を持つ子どもたちが、寺院や公園を行き交うのを見たのは南京だった。家の門に新たに貼られた年画と対聯、細緻に切られた剪紙を見たのは揚州だった。長江に停泊する小舟までが、剪紙と年画で飾られていた。
 これほど生活に根ざした芸術があることを知ったのは、留学してからだ。私が留学した中央美術学院には、民間美術という学部もあり、民間の伝統美術や少数民族の美術を学ぶ学生たちがいた。ある日、特別講師が来たから、と誘われ民間美術の教室をのぞいてみた。すると、学生に囲まれ80歳くらいのおばあ様が数名、いすに腰掛け小さなはさみを動かしている。世間話をしながら赤い紙を切り続け、やがて人と動物の形が切り出されていた。いつも手が動くままに切っている、と特別講師のおばあ様は笑った。教室には、そのようにして生み出された剪紙や刺繍、農民画のほか、少数民族の衣装、装飾もかけられていた。ひし形や円の繰り返しに見える文様が部族のトーテムを象徴していること、民族の神話や家族の物語が図形の中に伝承されていることを老師が来て説明してくれた。その後の雲南旅行で、祭礼の時だけでなく、日常の生活、田植え、水汲みという労働の中で民族衣装がいつも大切に着られているのを知った。
 雲南に行くならぜひ会いなさいと紹介されたのが高金龍氏だった。上海の生まれだが、17歳のとき西双版納(シーサンパンナ)の農場に入って以来、この地にひかれ、雲南各地を巡り写生し、少数民族の姿を描き続けている。彼の工筆の技法は、墨線を引いた後に薄く淡く顔料を重ね、染めとぼかしを何度も繰り返す彩色法である。淡々として穏やかな色合いは、彼が好んで描くタイ族の女性のやわらかな身体の線描とよく調和している。大きな身振りも華美な装飾もなく、人々はまっすぐな視線をどこかに静かに向けている。彼は、「都会は太乱(騒がしい)、雲南が故郷なのだ。」と言う。中央に出ることは好まず、自身の選んだ故郷で今も絵を描いている。故郷、確かに私が初めて訪ねた1月の雲南は、菜の花とあんずと桃の花の咲く桃源郷、陶淵明の≪桃花源記≫の農村そのものだった。『帰去来の辞』で陶淵明が「帰ろう」と歌ったように、雲南の田園風景は、行くのではなく、いつも帰るべき所のように、私には思い出されるのだ。

 

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