潘公凱(1947〜 ) 川浦みさき(画家)

〈香雪〉潘公凱

 中央美術学院で美術史を専攻していたころは、毎日講義とレポートに追われていた。中国画専攻になってからは、午前中は実技、午後は自習、時に構図、芸術心理学、古典美学用語等の講義が入った。また、特別に大学外の講師を招いて講演会を開くこともあった。たとえば、役者を招いての京劇講座、古琴・古筝奏者を招いての音楽講座、敦煌壁画の舞踊図を研究するダンサーによる舞踊講座等、全校の学生が受講でき、夕食後の夜の時間に開かれた。その中で印象深いのは、浙江美術学院(現・中国美術学院)の潘公凱氏の文人画に関する講演である。
 その話は、陶淵明から始まった。「桃花源記」の物語は、戦乱が続き、政治への不満を抱きながらもその中でしか生きられない多くの人々を魅了した。特に、文化人・官僚として当時の政治にかかわりながらも矛盾を感じていた文人たちにとって、それは、彼らが願いながらも言い得ずにいた思いを、ずばりと悲しいほど素直に言い表したものだった。山林に隠棲する者もいたが、文人たちは世俗にあって、平和で素朴で無垢な桃の花咲く小さな村の世界へと想像を遊ばせていた。詩人の王維は、この理想郷を、色彩を抑えた水墨によって表す。王維は後に文人画の模範とされ、明代の董其昌により南画の創始者と呼ばれた。しかし、潘公凱氏は、董其昌の教養を評価しながらも、その見識が一面的であると指摘した。それは、北宗画に備わる写実性、迫真の気風を「工匠の気風」と見なしたこと、それが後に、文人画=南画=水墨画という図式を生み出してしまった、という論旨だった。
 また、「逸筆」についての話も示唆に富んでいた。画家は、絵画表現の中に「真」を追求する。しかし、余技として絵を描く文人は「詩意」を追求する。そこで用いられた奔放な筆法は、逸筆と呼ばれた。「逸」とは逸脱の意味を持ち、「逸筆草草」という言葉は、乱雑というマイナスイメージを負う。しかしこの筆法は、心・感情の動きをそのまま筆にのせて伝えるための、優れた表現手段でもある。
 この南北論は、歴史・自然風土・人間の気質の違いを含み、現代につながるテーマである。私が学んだ北京の山水画科では、確かに「逸筆草草」の軽快さが生み出す詩情が軽視される傾向があったと思う。潘公凱氏の講演は、冷静に論点の片寄りを批判しながら、文人画の原点を探ろうとするものだった。
 彼は現在、中国美術学院と中央美術学院の院長を兼任している。90年に展覧会のため来日し、父・潘天寿についての講演会を開いた。私はその際通訳をさせていただいたが、父の技法・構図を分析しながら、その人格に敬意を払う愛情にあふれた内容だった。潘天寿は、中国画の伝統と正統な文人画とは何かを研究し続けた画家・学者であった。公凱氏も知的批判精神と詩情という文人画のエッセンスを、父から受け継いでいるのだろう。

 

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