黄潤華(1932〜2000)その1 
川浦みさき(画家)


「川浦君恵存 丁卯夏潤華于北京」黄潤華
 1987年7月の初め、北京中央美術学院の会議室で、ささやかだが大きな卒業式が開かれた。テーブルに花とお茶、茶菓子が並び、留学生と老師が集まった。イタリア・フランス・ドイツ・スイス・オーストリア・コロンビア・ペルー・マダガスカル・カナダ・アメリカ・マリ・トーゴ・タイ・バングラデシュ・韓国・日本の留学生。短い者は1年、長い者は4年のそれぞれの留学生活が終わった。留学の理由もさまざまで南米の留学生はこう語っていた。「文化省から留学しないかという話があり、喜んでどこかと聞くと、中国、と言われた。でも自分はどんな国か、どこにあるかさえ知らなかった。地図を見て大きな国なので驚いた。」しかし彼は、毛筆を使いこなし、書も「筆意がある」と絶賛されるほどになっていた。ヨーロッパの留学生は、美術史と山水画専攻が多く、イタリアの留学生は老荘思想の自然観と山水画の関係をテーマに論文を書いた。中国語の発音は北京人クラスだったが、「本を読むのが大変」と嘆いていた。タイの留学生は、母国では学校の教師、「家族がいるので迷ったが、どうしても中国で水墨画を勉強したかった。」と語った。私が山水画を学びたいと思ったのは、古代からの数々の名作に感銘を受け 中国の自然を知ったからだ。だが、現代中国絵画の多様性と可能性を教えてくれたのは、中国の芸術を愛する留学生・学生たち、そして老師たちだった。
 山水画を1年学び、さらに延長したい、という希望を山水画主任教授の黄潤華老師にお話ししたところ、すぐ推薦状を書いてくださった。黄老師は、まさに大人と呼ぶにふさわしい堂々とした風貌の方で、常に穏やかで易しい言葉で話してくださった。黄老師の画風は、その人柄同様おおらかで力強い。だがその骨太な線の内に、繊細な細部の表現が重なっていた。
 指導の際、特に強調したのは、虚実と疎密の重要性だった。
 留学生班の太行山写生旅行を引率してくださったのも黄老師だった。私が山をスケッチしている時、黄老師がそれを見ながら、「この言葉を知っている?」と、「走馬・透風」の二語をスケッチブックの隅に書き入れた。「画面で密の所は馬が走り抜けられるように、それほどの強固さが要る。疎の所には、風が通り抜けられるような広がりが要る。」私が「分かりました。」と言うと、老師は笑顔で続けた。「でも次にはこう考える。疎は馬が走り抜けられるように、密は風が通り抜けられるように。」確かに、疎という虚の表現にこそ、ゆるぎない強さが必要であり実の重なりである密の中にこそ、風を通す空間の表現が必要となるのだ。白い画面(虚)に置かれる墨の黒の点と線(実)、それは太極の図に似ている。そして、太極図の魚に目があるように、疎の中に密、密の中に疎が表される時、それは「活眼」と呼ばれる。老師から教えていただいた多くの言葉の中で、特に忘れがたいのがこの言葉である。

「北京中央美術学院に学んだ画家たち展」
2002年6月22日(土)〜30日(日)
Kアートスペース 045-662-1671

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