黄潤華(1932〜2000)その2王●(1948〜) 
川浦みさき(画家)


 「書画同源」。短いが、中国の芸術の特徴をよく表す言葉である。私が中央美術学院の山水画教室で学び始めたころ、老師が繰り返し教えてくれたのがこの言葉だった。これは、さまざまな意味合いを持っている。まず、中国の文字は画と源が同じである、という意味がある。漢字の基は象形、図形であり、書の構成も絵画の構成も、基は同じである。また、中国の書と画はともに毛筆と墨を使い、筆法と墨法が表現の基礎になっている、という意味もある。中国では、書を「書く」場合も、画を「描く」場合も、動詞は「写」の文字を使う。毛筆によって生まれる線の律動と、墨のにじみ、濃淡の変化によって生まれる墨色の韻、それが書画に共通する美意識となっているのだ。
 留学してすぐ、模写の授業と並行して、書法の授業が始まった。講座担当は、王●老師、顔真卿の楷書の臨書だった。「山水画を学ぶなら、隷書も書きなさい。」と王●老師はていねいに、中鋒・蔵鋒の筆法を教えてくださった。だが、17年前の私は、まだ書の練習の重要性に気づいていなかった。中国の自然に魅了され、時間があれば各地を旅し、ペンの写生を重ねた。そしてそれをもとに水墨作品を創ろうとしたとき、自分の筆力のなさに気づいた。山水画室主任の黄潤華老師は、「まず自分の名前を書けるようにしなさい。それだけをゆっくり繰り返しなさい。」と優しく指導してくださった。そして、「書家の書ではおもしろさがなく、画家の画では味わいがない。」と、言葉を続けられた。私が考えていると、「筆法ばかりで絵画を学んでいない書家の書、造型ばかりで筆法を知らない画家の画には、どちらも欠けているものがある。」と、説明してくださった。
 いま、改めてこの2点の書を見ると、その書体・筆法・墨色から、写真を見るより鮮やかに、その人となりが思い出される。明朗で才気あふれる王●老師。そして、温厚で清廉であった黄潤華老師。
 黄潤華老師が客員教授として招かれ訪日された際、横浜中華街をご案内した。老師は「昔の北京のようだ」と驚き、「日本に渡った中国人が、自己の文化を大切にしているのがわかりうれしい。」と、心から楽しそうに語られていた。


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