(No.34-2002.8)【曽徳深】


 海抜5千6百mの玉龍雪山を源とする水が、北から南へ幾筋もの清流となって石の水路をさざなみたてて流れていく。水底に揺れる水草、川岸に青柳、道端の色とりどりの花、道の両側に8百年の風雪を経た家並み。
 店先で尻開きズボンの幼児が大きなボールを追いかけ、母親が小さいイスに腰掛けながら声をかける、傍らで戯れる子犬、踏み磨かれ光る石畳を、北斗七星文様をあしらった羊皮の背当ての民族衣装をまとったナシ族の老婆がとことこ歩んでいく。
 6月7日の夕方、雲南省「麗江古城」に着き9日早朝に離れる。8日の日中は玉龍雪山でヤクの背に揺られながら海抜4千mの高原を散策し、チベット族の放牧小屋でバター茶を飲む。古城にいたのは二つの夜と二つの朝だけであるが、その印象は強烈である。幸いに古城内の「客桟」(宿)に投宿したので、夜は遅くまで、朝は早くから古城の中を歩くことが出来た。夜は観光客が、店をひやかしながら品定めをし、清流の辺の灯光の下で酒を酌み交わす。人々は微笑を交わしながら行き交う。朝は清流で顔を洗う年寄り、登校する子供、竹箒で道を掃く人々、大きな黒犬を連れリヤカーで荷物を運ぶ男、時間はおだやかに土地の人と歩む。「麗江古城」は、トンパ文字で有名な少数民族ナシ族の街で、世界文化遺産に登録されており、世界中から訪れる人が引きも切れない。大きなリュックを背負った若者、バギーを押す女性、じーっとナシ古楽に聞き入る家族など、特に西洋人が目立つ。
 聞くところでは、そのまま居付いてしまう人がいるらしい。「麗江」が人々を惹きつける力は何か?よそ者にやさしいためではないか。「麗江」は辺境の地である。「茶馬古道」が通り、あまたの民族が行き交った場所だった。辺境は国際(くにのきわ)なのである。


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