あの夏の日の中華街
          50年前のま・つ・り


1952年夏、山下町・横浜中華街に神輿がはねた。写真に写る半世紀前のこの街。写したのは、戦前から市場通りで「雪本川魚店」を営んでいた雪本巖さん(当時44歳)。
そしてその写真に写された息子の博美さんは、57年の秋、獅子が中華街を舞う姿を写真に切り取り、組写真で「ハマ展」に入選する。父のカメラを手にしてそのおもしろさに目覚めた博美さん、25歳のときであった。
横浜中華街、この街で日本・中国・韓国朝鮮の若者が育った。



1952年 雪本巖さん・撮影

中華街大通りを進む神輿右に「明揚亭」、今の「明揚」。夏空が広い。 神輿をかつぐ青年、正面3人の右端が博美さん。板壁に「船舶用寝具製造」、港町ヨコハマの姿がある。「風呂屋のせがれの松本、台湾の鄭さん、韓国の金の弟のほうとよくいっしょに遊んだ。」と博美さん。 市場通り「雪本川魚店」の向かい「清川」の
前で博美さん20歳の雄姿!隣に「大衆ミルクホールブロンディー」があった。
寿司「清川」は、いま太平道で営業。
 



山下町のりりしい青年たち。「みなと祭御酒所」は建て替えられる前の山下町町内会館。今も山下町小公園に隣りあう。後ろT字路の「陽華楼ホテル」は火災のあと中華料理店「陽華楼」となり、中国料理界に有名な厨師を輩出した。




1957年 雪本博美さん・撮影

中華街大通りに建つ牌楼(パイロウ)で獅子舞を披露。「中華街」はここから始まる。この牌楼は55年に建てられ「善隣門」と名づけられた。のち89年に建て替えられる。 まつりのひととき、関帝廟の内側で。
時間が止まったかのような一瞬。関帝廟はのち火災にあい、寄付を募って90年にいまの関帝廟が建立された。
西門通り「大珍楼」で採青(青菜に見たてたご祝儀をくわえる)する獅子。

りんごの向こうに獅子。市場通り「池川商店」の店内から写す。「池川」はいまも同じ場所で同じ青果を扱う。「市場通り」、この通りには魚、野菜・果物、肉・鶏、食品、酒、調理用品・食器、薬、と生活に密着した店が並び、とくに魚店・青果店・食料品店は何軒もあった。50年後の現在も同じ場所で営業を続ける店、また中華街の別の所へ移転して同じ商売を続ける店も多い。



雪本博美さん(1932年生まれ)

市場通りに「雪本川魚店」営業のかたわら、
88年中国料理「鯉鰻(りーまん)菜館」を開業。
《中華街でニイハオ》にインタビュー記事。



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