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愛新覚羅(金)鴻鈞 (1937〜 )
川浦みさき(画家) |
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「中国画とは何ですか」という質問をたびたび受ける。中国歴代の画集を見ながら、また現代中国画の展覧会の会場で、あるいは、私自身の個展の会場で。単純ではあるが、非常に難しい質問だ。「中国画とは〜です。」と言い切る答えは出せるだろうか。私が留学していたとき、大学の老師と学生に何度か同じことを尋ねた。答えはさまざまだった。「筆墨」にある、線の表現にある、三遠・散点透視等のものの見方にある、余白・間という画面構成にある、写意・詩書画という芸術観にある、自然観・老荘思想・天人合一という思想にある、等々。中国画とは、という問いには、材料・技法・表現法・見方・思想等の多方面から考えなければならないだろう。毛筆と墨は重要な道具だが、それを使えば中国画、というのではない。「筆墨」による表現とは、筆法墨法とその効果をさすだけではない。その表現を生み出したものの見方、その基となる思想をも含んでいるのだ。私が共感し学びたいと思ったのも、この思想だった。筆墨による線の表現と、それを支える写意性と自然観、それが中国画の核となっている、と私は考えている。
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長い中国画の歴史を振り返ると、非常に大略ではあるが、人物画の隆盛期、花鳥画隆盛期、山水画隆盛期に分けることができる。人物画では「写神」対象の精神を写すことが重視され、東晋時代から唐代までに数々の傑作が生まれた。花鳥画では「写生」生き動くものの生を写すことが重視され、宋代の画冊には花鳥画の名品が多数収録されている。そして、水墨・文人画の発展とともに、山水画では「写意」画家の意を写すことが、強調されるようになる。写意は、写神・写生を否定した言葉ではなく、写生と観察を続け、自然と交流する体験の中から生まれた言葉なのだ。
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〈生生不巳〉『金鴻鈞新作選』
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金鴻鈞老師は、中央美術学院花鳥画の教授、工筆花鳥画の作品が多いが、写意画も描いている。花鳥画は、1輪の花によって大きな自然を表し、一枝の葉の色によって四季や時の移ろいを表す。1羽の鳥の動きによって、死と再生・生命のつながりを示す。鴻鈞老師は、葉が繁り、落葉となり、その中から新たな芽が育っていく、というテーマを繰り返し描いている。工筆画の線は、写意画のように感興・情動のまま引かれた線ではない。筆が走るのを制御し、筆力が外に露わにならぬよう強弱が抑えられている。この抑制された線によって、むしろ、絵に内在するテーマは静かに深く見るものに伝えられていく。「1枚の絵を書くのにどのくらい時間がかかりますか。」と尋ねられる時、鴻鈞老師はこう答える。「2000年。」自分がこの絵を描けるようになる |
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まで2000年の歴史があった。この自信に満ちた言葉は、宋代からの伝統を自分は受け継いでいる、という誇り、だからこそ今の自分の絵画がある、という自覚に裏打ちされているのだろう。 |
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(金鴻鈞老師は満州族・太祖ヌルハチの子孫。数年前まで公式の場で愛新覚羅姓を用いることは禁止されていた)
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