アメリカ華人歴史学会・博物館

世界の街角で

サンフランシスコの

チャイナタウンを歩く(2)

文・写真/伊藤泉美(横浜開港資料館調査研究員)
 
異郷の暮らしを精神面で支えていたのは信仰です。次は媽祖廟をめざしてウロウロ。媽祖廟というのは「天后娘娘」をまつった廟で、関羽をまつった関帝廟とともに、世界各地の華僑の信仰をあつめています。横浜関帝廟のような、お香の煙漂う建物を探していたのが甘かった。あやうく見過ごすところでした。サンフランシスコの媽祖廟は、細い路地のビルの中にありました。たまたまコンタクトにごみが入ったので立ち止まり、ふとその路地の奥に、赤い提灯で飾られた媽祖廟を見つけたのです。「美国(アメリカのこと)媽祖廟」と書かれた看板の下を入っていくと、ろうそくやお供物できらびやかに飾られた祭壇の奥に、天后娘娘がまつられていました。そこには中国人の精神世界がありました。廟には親切な方がいて、アメリカ華人歴史学会の新しい所在地はクレイ通りの965番地と教えてくださいました。

 媽祖廟を出てから路地を歩いていると、「越南華僑互助聯誼会」「胡家公所」「北加州福建会館」といった団体の看板をたくさん見つけました。華僑社会には同郷・同族・同職の人々が相互扶助のために組織する多くの団体があります。「越南華僑互助聯誼会」は越南=ベトナム出身華僑の団体です。


美国媽祖廟


坂道の町サンフランシ
スコのストックトン通り

ちなみにサンフランシスコをはじめとするアメリカの中国人社会では、ここ20年あまりのあいだに中国大陸はもとより、香港・台湾・そして東南アジアからの新しい移民が増え、中国人社会は多様性を増しています。そして古くからサンフランシスコに住み財をなした人々や、台湾や香港から移民してくる比較的豊かな層はこの中華街を離れて、リッチモンドなどの地区に暮らしています。団体の話にもどりますが、「胡家公所」は胡一族の同族組織、「北加州福建会館」は北カリフォルニア州の福建人の同郷組織です。

 次にめざしたのは中華会館。地図によれば中華会館の向かいには国父記念館や国民党支部があるという。フムフム、これは行かねばなるまい。中華会館はさまざまな団体のトップに位置する
組織で、サンフランシスコの場合は1882年に6つの同郷団体を統合して設立されました。中華会館のある通りはストックトン通り。左の写真、左手中央に一段と高くユニオン・ジャックを掲げている建物が中華会館です。その手前には美洲中華学校があり、向かい側には金山国父記念館と中国国民党駐美総支部があります。「国父」とは孫文のこと、「金山」はサンフランシスコのこと。昔、華僑はサンフランシスコの金山の労働者としてこの街にやってきたことから、中国語ではサンフランシスコを金山、あるいは旧金山と呼びます。ちなみに「新金山」はサンフランシスコの後に鉱山が発見されたオーストラリアのメルボルンをさします。



越南華僑互助聯誼会


 さすがに歩き疲れたのでコーヒーでも飲もうと入ったお店が「喫茶ホノルル」。金山国父記念館の隣です。確か天井に雲の絵が描かれていましたが、明るい喫茶店でした。ここのコーヒーはとてもおいしい。スタアバックスより美味でした。

 最後にご紹介したいのが、アメリカ華人歴史学会です。ここにはサンフランシスコをはじめとするアメリカの華人の歴史を紹介した博物館が併設されています。古い写真や文物が展示され、華人の歩みをわかりやすくたどっています。説明によれば、サンフランシスコにはじめて中国人がやってきたのは、1851年。これは横浜に中国人がやってきたわずか8年前のこと。横浜とサンフランシスコのチャイナタウンはほとんど同じ歴史の長さを有していることがわかります。


「唐人街」をウロウロ(筆者)

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