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発HOTSU |
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横浜中華街の南、大芝台の丘に、地蔵王菩薩をまつる《地蔵王廟》がある。横浜に現存する最古の近代建築物であることから、90年に横浜市指定文化財に認定された。1892年の建築以来、関東大震災に耐え110年が過ぎた。この一帯が《中華義荘》。春の桜が美しい、130年にわたり華僑の先達が眠る場所である。
この一角に屋外休憩所が造られ《金亭》と名付けられた。設計・施工は華僑の若者、ここで使われた石材は中国福建省から運ばれた。往時の《地蔵王廟》建立もこの《金亭》も華僑の寄付が募られた。
「石屋」の陶慎友(とうしんゆう)さん、69年生まれ33歳。「質のよい安い石、というと今、中国です。」
「もともとぼくは旅行業者。それが中国旅行のお客さんとの縁で石屋に、そして墓石を扱うのでお坊さんとの縁ができて葬儀屋に、中華義荘の仕事も声をかけてもらって…。こっちに進もう、と明確な目標があってこうなったのではないんです。」 |
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陶慎友さん
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10年ほど前、陶さんは華僑の経営する東京の旅行社に勤めていた。JTBなど日本の旅行社に卸す中国旅行のコースの仕入れ(!)を担当していて、原則添乗はしない。たまたま「中国仏教協会との交流ツアー」に添乗したとき参加者が現地で入院、付き添いをして石材業者の信頼を得る。その人が「中国から石を輸入したい、ついては…。」と、陶さんの転職をうながしたというワケ。ところが「1年後、輸入業務よりまず業界の勉強、ということで石の売り場=寺を担当している時に会社がつぶれた。」担当先の寺からは「あとはおまえがやれ。」との言葉。「質がよくて安い石」を求めるうち、日本の石問屋勤務の中国人と会社をつくって中国の石を輸入するようになった。提携工場は大連・アモイなどにある。その後設立した許@輪は石の建築資材・墓石の卸が業務。99年、別のお坊さんを手伝い叶エ流福祉センターを設立し葬儀を手がける。「『明瞭で安い』がモットーです。」人が亡くなった時、残された家族は悲しみながらも葬儀のことを考えなければならない。「人が亡くなった時に高いもの売って『ありがとう』と言われる商売、最初違和感ありました。ですから商売としてだけでなく福祉活動ととらえたい。」葬儀を扱う非営利NPO法人に参加する。「お坊さんが町内会でお布施や心のこもった葬儀の講演をする活動をもっと充実させたい。葬儀文化をまとめて『うちに資料あるよ』と、形にしたい。」そうしてホームページを立ち上げた。
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《金亭》から《地蔵王廟》を見る |
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この石材と葬儀の仕事は埼玉がエリアであったが、《中華義荘》の仕事を機に横浜でも仕事をすべく叶T和をつくり、週を半分ずつ行き来する2重生活が始まった。
陶慎友さんは、祖父母が来日した華僑3世。「ぼく満州族なんです。」中国は90%以上を占める漢族のほか満州族・ウイグル族など50以上の民族からなる多民族国家で、中国最後の王朝「清」は満州族の国であった。「清朝の遺臣で追われて日本へ来たのかな。(笑)」陶さんの生まれは関西、小学校入学前に家族で横浜へ。お父様は貿易業。
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「中国でも日本でも外人扱いされて、いろいろな思いがまざって今、『私は華僑だ』と思います。横浜中華街は自分の基です。」
「中国人の葬儀は朝まで麻雀して酒飲んで亡くなった人をしのびます、連帯感を感じますね。式の進行より、参列する方の感情に重きを置いた式をしていきたいです。」「横浜の華僑は中国のしきたりが分かる人も少なくなっています。勉強して安心を与える提案をしたい。」うれしい言葉である。
「福祉や文化活動をしていきたい。」に「りっぱすぎる!」と声を出したら、「信頼関係で動いていますからそれを傷つけたら先はどうなるか…。質の向上も、不安だからやる。今あるものを充実させていきたいです。」
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(インタビュー 新倉洋子)
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