拡大版 世界の街角で
暖ちゃんが行く!
安徽省高橋村に魅せられた私

農作業の合間におじさんを撮影。

「もう動いていいヨ!」と言ってもおじさんは数分立ち尽くしたままだった。


一人っ子政策のスローガン。こんなに大きく書いてあるが農村では兄弟のいる子が多い。村は子どもであふれている。
中国は安徽省の片田舎に、高橋村というまるで日本語のような名前の人口百人ほどの小さな農村がある。私はこの10年、毎年この村を訪ねる。ここに住んでいる中国の友人、汪・劉夫妻を訪ねたのがキッカケだった。
 初めてこの村へ行った当時、友人夫妻にはその日私が会いに行くことを知らせる術がなかった。そのため、どこかで待ち合わせしたり、迎えに来てもらったりということができず、自力でそこへ到着しなければならなかった。列車の最寄り駅からは、何の表示もない乗り合いトラックに乗るのだが、土地勘がない上に、当時はまだその土地の『訛り』にも不慣れだったので、相当に緊張した。何よりも、列車もトラックも1日に数本しかないので、列車の最寄り駅に着いた時にはすでに引き返す方法がなかったのだ。失敗は許されない!そんな緊迫した気持ちで、やっと見つけたトラックは人のほかにアヒルやブタやニワトリ、そして自転車ま

現役のトラック
でもがいっしょに『乗り合い』になり、とんでもないデコボコ道をノロノロと進んで行くのだった。何とか高橋村で降ろしてもらい、友人を探し当てた時には本当にホッとしたものだ。
 村人にとって私は初めての外国人である。滞在した友人宅には連日ものすごい量の人が私を『見に』訪ねてきた。朝5時にはもうだれかが来て、『寝ている日本人』まで見るのだ。この時初めて動物園のパンダの気持ちがわかった。(笑)
 村人たちは私を連日質問攻めにした。「何で外国人なのに金髪じゃないの?」「日本からここまで飛行機で何日かかる?」「日本には米はある?ブタはいる?」等等。村の小学校の先生は「テレビや本で見る日本人女性が背中に背負っているものは何?」と聞いてきた。聞かれたソレ

私のために沼で魚を取ってくれた。
はどうやら着物の帯のことだった。私が一つ一つ答えていくと、子供のようにはしゃぐ大人たちを見て、私はなんとなく楽しくなってきたものである。新聞の取材を何度も受けた。
 近年、中国の都会の発展ぶりは目覚しい。では田舎の発展はどうか?高橋村はこの10年来、見た目の変化はほとんどない。しかし発展の波は確実にこの田舎にも及んでいる。一つの例は電話だ。10年前、村には電話がなかった。当時、隣の隣の村まで行って、村役場の電話を借りた経験がある。数年前、村内の各家庭に電話が引かれ、直接連絡が可能になった。今では更に携帯電話を持つ人も少なくない。通信の発達は、人の目を外に向けさせたようだった。一生村から出ないで亡くなる人も多いと聞いていたが、ここ数年で上海や広州などの都会に出稼ぎに出る人もグッと増えた。同時に『きな臭い』話も増えてきた。出稼ぎ先で愛人をつくってしまったオッちゃんや、出稼ぎに出ないまでも、農
業以外の仕事で失敗したり、賭け事に手を出したり…ここ数年は日本の『3ちゃん農家』のように、繁忙期以外の村は何となく閑散としている。
 彼らの収入や消費を数字で見たら、決して『豊か』ではない。特に安徽省は中国の中でも、最も貧しい省の一つである。立ち遅れた交通機関や、毎年のように起こる洪水被害などを考えると、上海などとは別国のようにも見える。だが、いつも目にする彼らの生活はとても『豊か』なのだ。まるで村中が家族のように、お年寄りはだれからも敬われ、子供たちは皆かわいがられ、どの家にも自由に出入りし、ご飯も食べ、昼寝もする。何より人が活き活きとしているのだ。冷蔵庫がなく、毎食新鮮な食材で、食べられる分だけ用意する彼らと、大型冷蔵庫に数日分の食材を溜め込み、レンジでチンして食べるわれわれ、いったいどちらが贅沢な生活だろう?そんなふうに考えると、ガスも水道も洗濯機も、日本では生活に最低限必要と思われる物は、実は何一つ『豊かさ』の象徴ではないことに気づかされる。

 中国の人はよく『縁』という言葉を口にする。『縁』あって知り合った村人たちとの10年間には、実は楽しいこと以外にも、辛い事、悲しい事もあった。でも毎年この村に行ってしまうのはやはり『縁』なのだろう。
 今年も高橋村の人たちは、いつもの笑顔で私を迎えてくれた。道が舗装されたりして、彼らの生活が便利になっていくのは私もとてもうれしい。便利を追求して、彼ら本来の『豊かさ』が失われないよう、切に祈る。来年また彼らの笑顔を見に行くために、私は日本での生活をがんばるぞ!

農村の子どもは「伝統的股割れパンツ」をはいている。ケイタイ電話で「もしもし?」と遊ぶ友人の愛息。
暖ちゃん紹介

本名:加藤暖子(やすこ)

大学の中国語学科で学び90年・91年に南京に留学、汪・劉夫妻に出会う。夫妻のふるさと高橋村を毎年訪ね、ついでにアジアを1〜2か月放浪する。日本にいるときは横浜中華街の中華食材店《耀盛號2号店》の店長さん。店をのぞいてみて! 会えるよ!

農村の一般家庭の室内。壁のおばあさんの写真は私が生前に写した。ほかにも頼まれて、葬式用or死後このように壁に貼るように写真を撮った。

ブタもニワトリも元気。

友人宅にて。冬は家の中でもかなり寒い。 どこの家もごちそうで私を迎えてくれる。

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