杭州の絹織物(1)

曽慕蓮(元・山西師範大学)

イラスト/浅山友貴  訳/豆彩編集部


  みなさんは覚えていらっしゃるでしょう。01年に上海で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)に参加した20人の各国指導者が、あでやかで東洋的な中国服を着て並んだ姿は精彩を放ち、忘れられません。フィリピンのアロヨ大統領は東洋女性の愛くるしさを際立たせるこの服に感心し、小泉首相は試着して脱ごうとせず、カナダのクレティエン首相は「柔らかくきれいだ」とほめました。
  みなさんはご存じないかもしれませんが、APEC中国準備委員会がこの上着に採用した、8輪の牡丹と「APEC」の文字とを組み合わせた丸い図案の刺繍入り緞子の生地と、「APEC CHINA 2001」の文字が入った絹の裏地は、どちらも杭州市余杭区運河鎮にある2つの絹織物工場で作られたものです。
  古くから絹織物と杭州はつながりがあり、杭州は《絹織物の都》と称えられてきました。春秋戦国時代(2千5百年前)の昔に杭州にはすでに絹織物業があり、唐代にはこの地の絹織物は《天下に冠たり》とうたわれて宮廷への貢物とされました。千年以上前、杭州産絹織物は陸と海のシルクロードを通って遠く中東や東南アジアへ売られたのです。佐藤真氏は著書『杭州の絹織物業』の中で、「日本の機織業が未発達のときに『呉の国の服地』といわれたのは杭州から輸入された絹織物のことで、日本の『呉服屋』の起源は恐らくここにある。杭州は日本の絹織物の祖地である。」と述べています。
  杭州産絹織物は長い歴史と伝統があるだけでなく、生産規模が大きく製品が良質で色柄も豊富です。綾絹・薄絹・緞子・ちりめん・絹・紡・紗・厚絹・葛布・錦・絹ビロードなど、絹の14種の織物はすべて杭州で生産できます。相当長期にわたり絹織物業は杭州の支柱的伝統産業の一つです。私が以前中国北部で仕事をしていたころ、南方の親戚を訪ねると言うと、友人から杭州の絹の布団側や服飾品を買ってくるよう頼まれました。当時北方に住む人にとって、絹織物は人にうらやましがられる高級品だったのです。  
絹の生産にはカイコを育てなければなりません。杭州周辺の農民は代々養蚕で生計を立てています。杭州に出入りする際、道の両脇の畑にカイコの飼料、桑の木が整然と植えられているのが目に入るでしょう。
  この地では今でも独特の風景を見ることができます。毎年春節直後のまだ寒さ厳しいころ、白頭巾をかぶり油で防水したかさを持ち、藍地に白模様の手織りの服を着て線香の入った黄色い布袋を掛けた大勢の農家の女性が、農作業の合間をぬって江蘇省呉江、浙江省嘉興や湖州などから杭州の寺や廟にお参りに来ます。カイコが新しい一年も無病息災でより多くのまゆを収穫できますように、と菩薩の加護を求めるのです。
近年農民の生活も向上し、頭巾が色とりどりのウールのスカーフに、服も流行りの既製服に、そして重いかさは軽い折り畳みかさになりましたが、あの黄色い布袋だけは変わらずに掛けられています。

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