仏像が描かれた岩絵

世界の街角で

三蔵法師も通った道ガンダーラは
パキスタンだった!

文・写真/譚佐強(翻訳業)
 
 世界第2の高峰K2を見に行こうという大学時代の山岳部の友人の誘いで01年7月、パキスタンを訪れた。K2は中国・パキスタン国境線稜線に位置し中国側では古来チョゴリと呼ばれていた。チョゴリとは新疆ウイグル自治区に住むタジク族の言葉で「高くて大きい」という意味である。その1か月前、パキスタンでクーデターが発生し、ムシャラク大統領が新たに政権の座についたばかりだ。治安にやや不安を感じていたが、着いてみるとその不安は払拭された。イスラマバードの町はまったく平穏で、バザールは多数の市民で賑わっていた。パキスタン人はおおむね目鼻立ちの整ったよい顔立ちをしており、バザールでカレーの香辛料を売る店の主もハリウッドスターにでもなれそうな顔をしていた。
バザールの香辛料屋
 正直言ってそれまでパキスタンという国に対する知識は皆無と言ってよかった。唯一、中国・パキスタンを結ぶカラコルム・ハイウェーが中国の援助で完成したというニュースを以前勤務していた通信社で訳したことを記憶していただけだ。まさか自分自身がそのハイウェーを走ることになろうとは思ってもみなかった。


インダスの大峡谷
 カラコルム・ハイウェーは首都イスラマバードからインダス川沿いに北へ向かう道で、インダスの目もくらむような深い渓谷沿いを走っている。インダスという名から私は長いことこの川はインドを流れる川だとばかり思っていたが、実はインダス川はパキスタンのほぼ中央を流れており、正にパキスタンの母なる川だ。この道はまた、長寿の里として有名なフンザ地方を経て、クンジェラブ峠で中国と結ばれており、かつて玄奘(げんじょう)・法顕(ほっけん)・宋雲ら中国の求法僧が通ったシルクロードとも重なっている。今日では、さまざまな荷を満載したトラックがたえず行き交っており、どのトラックもこれでもかというほど派手な塗装を施している。
 もう大分前のことだが、玄奘三蔵をモデルにした《西遊記》というタイトルのテレビドラマが放映され、ゴダイゴの歌う「ガンダーラ」という題名の主題歌がヒットした。

 「ガンダーラ」はパキスタン北西部からアフガニスタン東部にかけての地域を指す古い地名で、パキスタン側のタキシラ(イスラマバードの南西約35qの地)からペシャワール(ガンダーラの首都、当時はプルシャプラと呼ばれていた)、そしてカイバル峠を越えたアフガニスタン側のジャララバード・カブールまでがガンダーラの領域だとされている。1世紀に台頭したクシャーナ朝時代に仏教保護政策のもとでガンダーラ文化が最盛期を迎え、各地にストゥーパ(仏塔)や仏像が建設された。アフガン戦争中に破壊されたバーミヤン大仏もそのころに建設されたものと思われる。玄奘がバーミヤンを訪れたのは632年で、『大唐西域記』の中で「金色に輝く大仏」と記している。カラコルムハイウェー沿いのチラスにもその時代のものと思われる仏塔と仏像を描いた岩絵が残されていた。


ゴンドゴロ峠にて、筆者。
後方中央にK2を望む 

チラス・ギルギット・フンザ、そしてクンジェラブ峠で中国と結ばれているこの道が完成するまで、古代の商人や僧侶たちは現在とは比較にならない険しい山道を行き来していたはずだ。法顕は竭叉(かっしゃ)国(現在の新疆ウイグル自治区タシュクルガン)から葱嶺(パミール・カラコルムの古称)を越えて陀歴(たれき)国(現在のパキスタン・チラスを含む地域)に達したと記している。その時代に4千m級の峠を歩いて越えた古代の求法僧らの気迫は大したものだ。

 世界の8千m級の高峰はすべてヒマラヤ・カラコルムの両山脈に集中しているが、パキスタン領内にはさらに7千m級のヒンドゥークシ山脈が走り、カラコルムハイウェーはこれら三大山脈の接合点を通過している。ここからインダス川沿いに東へ向かうと、カラコルム登山の玄関口となるスカルドウに至る。窓からカラコルムの山々が望めるスカルドゥのホテルは外国人旅行者でにぎわっていた。今回われわれはスカルドゥからインダス川支流のフーシェ谷を遡って、ゴンドゴロ峠(5千3百m)に立ちK2の雄姿を眺めることができた。次の機会にはカイバル峠を越え、ガンダーラの西半分であるアフガニスタンにもぜひ行ってみたいと思っている。

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