中華街は横浜だけでなく、ご存じのように世界中にあります。中華街・華埠・中国城・China-town・チャイナタウンは、中国人が外国で生活するために作った街。

世界各地にチャイナタウンがあり、そして中華料理店があります。
華僑・華人・中国系

 「華僑」「華人」という言葉を聞いたことがありますか?
 本国以外に居住する中国人を「華僑」「華人」ということも多く、その数は世界に3千5百万〜4千万人といわれます。
 「僑」とは「仮住まい」を意味し、中国籍を持ち続ける人を「華僑」、定住化が進み居住国国籍を得た人を「華人」といいます。しかし「華僑」「華人」あるいは「中国系」を厳密に区別することは困難で、「華人」の語が次第に多く用いられるようになっています。
華僑の歴史

 中国人の海上活動が高まった8世紀に「華僑の歴史」が始まるといわれ、19世紀中頃に大量出国の時期を迎えます。
 アヘン戦争後1842年に清朝・英国の間に南京条約が締結され中国の沿岸地域が開港、また「太平天国運動」が起こる…、こうした経済・社会情勢の変化から多数の人が、特に福建省・広東省から海外に向かいました。他方、東南アジア・オーストラリア・アメリカ大陸でプランテーション農場やスズ・金などの鉱山開発が進み、労働力として中国人が必要とされました。こうして多数の海外移民「華僑」が生じたのです。この時期の華僑の多くは未熟練労働者=工力でした。
 20世紀後半以降、中国の改革開放政策により出国する中国人の数は飛躍的に増加中。海外を移動する華僑も多く、今までのチャイナタウンの郊外にニューチャイナタウンができ、また新しいチャイナタウンも形成されつつあります。
アメリカ
ニューヨーク

サンフランシスコ
ロサンジェルス

カナダ
バンクーバー


オーストラリア
シドニー


ヨーロッパ
ロンドン


東南アジア
ペナン

サンフランシスコ**
全米第2の規模。1848年に最初の中国人移民が到着した「アメリカの華僑華人のふるさと」。歴史的に「中国人排斥の機運が高い」地域という。

アメリカ合衆国のチャイナタウン

アメリカ合衆国人口約2億8千万人(2000年)中、中国系は243万人(0.86%)。
1848年にカリフォルニアで金が発見されてゴールドラッシュが始まり、中国人が工力として移住したのが始まりで、のち大陸横断鉄道建設に従事して次第に大陸東部へ移り、定着してチャイナタウンを作る。アメリカのチャイナタウンはその出発点が「差別から自己を守るためのチャイナタウン」、今も居住住民のための実用的機能を果たしている。今、50州のうち35州に1つ以上のチャイナタウンがあるという。

ニューヨーク
全米1の規模。1870年ころゴールドラッシュと大陸横断鉄道建設が終わりに近づいたころに形成される。レストラン・縫製業など経済規模が大きい。写真はニューヨーク郊外クイーンズ区のニューチャイナタウン「小台北」。


ロサンジェルス**


バンクーバー**
太平洋岸の主要な港町。「世界の街角で/バンクーバーのチャイナ・タウンを歩く」を参照。
カナダのチャイナタウン

華僑華人の歴史はアメリカ合衆国と同様。60年代の移民法改正で華僑華人人口が増える。


シドニー
ディクソン通りのチャイナタウン、牌楼が80年に建てられた。
オーストラリアのチャイナタウン

70年代にそれまでの白豪主義から多文化主義に政策転換したことで華僑華人が増えチャイナタウンを形成。


イギリス・ロンドン
ヨーロッパ中国人社会の中心。
中国料理店が集中する観光地。ここは香港系華人が多い。
ヨーロッパのチャイナタウン

19世紀スエズ運河の開通後、広東人船員がヨーロッパの港町に定住して初期のチャイナタウンを形成。第2次大戦後東南アジアからの難民などの受け入れも多く、華僑華人人口増加。アムステルダム・パリ、旧ソ連・東ヨーロッパの国にもチャイナタウン・中華料理店がある。


マレーシア・ペナン
東南アジアのチャイナタウン

世界の華僑華人の8割は中国と歴史・地理的関係の深い東南アジアの国々に居住、それぞれの国・都市の形成発展に大きな役割を果たしてきた。ほとんどが、華人=居住国の「国民」として生活している。

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清海(チンハイ)老師の研究室HP
YAHOO!で「山下清海」入力

http://www.itakura.toyo.ac.jp/~qinghai/

世界のチャイナタウンの様子がわかります。
山下清海さんは東洋大学・人文地理学の先生。

写真撮影 山下清海(東洋大学)  **伊藤泉美(横浜開港資料館)

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