図6
玉飾(龍文部分)
前漢時代(前2世紀)




双龍(画像石拓本)後漢時代(1〜3世紀)横浜ユーラシア文化館蔵

図1 玉器
新石器時代・紅山文化
(前4000〜3000年頃)


図2 玉器
新石器時代・紅山文化
(前4000〜3000年頃)


図3 玉器
新石器時代・紅山文化
(前4000〜3000年頃)


図4
青銅器(龍文部分)
西周時代(前11〜10世紀)


図5 帛画
前漢時代(前2世紀)


図7
走龍(青銅・鍍金)
唐時代(8世紀)


■天地を結ぶ霊獣
 雲を起こし、雨をもたらし、水中から天空へ舞い上がることもできる霊獣中の霊獣、龍。漢王朝時代には、その出現が天からのメッセージとして盛んに記録されていました。天子の徳が高く優れた治世であることを天が認めたとき、また、新しい天子が即位するよう天命が下された時に、天が示す祥瑞として龍が舞い降りたのです。その超越的な存在は天子の象徴とされ、天子の衣服を飾る12種の文様(十二章)の中でも、龍が最高のシンボルとされました。
 ちなみに、西洋の名称ドラゴンは、ヘビを意味するギリシア語drako-nに由来します。ドラゴンはトカゲ型と鳥型に分けられますが、いずれも悪の象徴として退治される気の毒な例が多いようです。ヒンドゥー教のナーガは龍と漢訳されますが、こちらの正体はコブラです。
 中国の龍はいつごろどのような姿で誕生したのでしょう。龍の原像については諸説あります。蛇との関係は水との結びつきから、また、鼻の形から豚・猪を、長い尾と四肢を持つ体形からは鰐が連想されますが、いずれも現実世界に存在する動物との比較です。さらには、海水や砂を巻き上げながら移動する竜巻が龍の原型かとする説もあります。確かに、強烈なパワーでヒュルヒュルと空に舞い上がり、一瞬にしてその姿を消す竜巻は神秘的ですが、所詮、竜巻は竜巻。龍は、大気が引き起こす現象ではないはずです。

■古代中国美術に龍を発見
 古代中国の人々が、限りない想像力と情熱を注ぎ込み繁栄させた文化・芸術の中に、必ずや龍の始まりを見ることができるはずです。今では秘宝とされる古代中国美術の数々を手掛かりに、古い時代へと遡ってみます。すると、今から5千年以上も前の新石器文化の遺物の中に、後世の龍とつながる文様や龍形の玉器があるのです。玉器とは、儀礼用に美しく磨かれた石で、霊獣を象ったり呪術的な文様を彫り込んだりした礼器です。1970年代後半以降、中国各地で考古学的調査や研究が進み、玉器が新石器時代の紅山(こうざん)文化や良渚(りょうしょ)文化などですでに副葬品として用いられていたことが明らかになりました。紅山文化とは、遼寧省西部から内蒙古自治区東南部に紀元前4000年頃から前3000年頃見られた文化。良渚文化は、江蘇省南部から浙江省北部に紀元前3500年頃から前2500年頃にかけて広がった文化です。発掘された遺物の中に龍を探すと、たとえば紅山文化の玉器で、中国の学者が豚形の龍と見做して「猪龍」と呼んでいる玉製の龍があります 図1 。C字型に体を曲げたこの玉龍は石棺墓から出土したもので、遺体の胸の部分で左右一つずつ発見されました。高さが10.3センチ。大きな丸い目と犬のように立った耳を持ち、鼻には多くの横皺が入っています。次の例 図2 は、同じく紅山文化のもので、高さ10.2センチ。図1の玉龍の顔を正面から見るとこうなります。これは遺体の腹部あたりで発見されました。もう一例 図3 も紅山文化の玉器で長さ12.1センチ。玉龍の頭の下に横皺の入った胴のような部分を加えたものです。これら早期の龍と考えられている玉器は、同時期の鳥や亀を象った玉器とは明らかに種類が異なり、不思議な霊獣らしさが表現されていることがわかります。金属製の刃物が無いこの時代に、硬い玉を複雑な形に彫り、磨き上げるのには相当な技術と労力が必要でした。また、そのようなものを作らせることができるのは権力者の特権であり、彼らが埋葬されるときに遺体を守る呪術的な意味をこめて副葬されたのが玉龍などの玉器であると考えられます。
 古代中国では、独特な青銅器文化も発展しました。それは、祖先を祀るための特別な容器である礼器として青銅器を大量に作り出した、世界にも類を見ない文化です。青銅器文化が最も栄えた商(殷)代後期には、現在知られる最古の漢字、甲骨文字も用いられ、龍は「竜」と書かれていました。つまり、竜が龍の古字なのです。竜の字は頭に突起があり、これが後に角になるとされています。そして、これらの青銅器の表面を飾るのに欠かせないのが龍です。ここに挙げる 図4 は、商に取って代わった周の時代の青銅器に見える龍です。この龍は高さが30センチほどあり、前11〜10世紀頃の大鼎という巨大な祭祀用食器の数箇所を飾っています。青銅器に表される典型的な龍の形が、このように大きく口を開けて向かい合うタイプです。大きく丸い目と角の生えた頭、足にはしっかりとした爪があり、胴と尾には鱗のような幾何学文様があります。

■漢代に完成される龍
 龍が飛躍的に現実味を帯びてくるのは漢代です。今からおよそ2000年前の漢王朝時代に、今日私たちがイメージするような龍の姿が完成されます。龍は鱗に覆われた細長い胴、背から尾にかけての背びれ、2本の角、前足の付け根に翼を持つ形に整います。鱗は鱗らしくなり、体形からも幾何学的な表現は消えてしまいます。この完成された龍の姿を確認できるのが、1972年に湖南省長沙市馬王堆(ばおうたい)一号墓で発見された前漢初期(前2世紀)の帛画、彩色された絹の布です 図5 。漢代の絵画資料のほとんどが朽ち果ててしまった中、この奇跡的に保存状態の良い帛画の発見で、漢代の人々が龍を、死者を仙人の世界、崑崙山へ運べる特別な乗り物であると信じていたことが明白になりました。この墓の被葬者は長沙丞相 候(たいこう)利蒼(りそう)の夫人。四重になった棺の内棺の上に、被葬者に見せるかのように下を向けて広げられていた、全長2メートルほどあるT字型の帛画。天上、地上、地下の世界が描かれ、天上部左に月をのせて運ぶ龍、右には太陽をのせて運ぶ龍が見えます。中段左右には下から上昇した龍が、璧(へき)という玉器を通り抜け、交差しながら上へ上へと進もうとする姿。龍に挟まれた位置に立つ夫人の霊魂を不老不死の仙境へ運ぶ龍船の役割を果たしていることがわかります。画面中の龍4匹は、頭部に長い角を持ち、大きく開いた口からは赤い舌がのび、立派な牙もはえ揃っています。四肢には3本ずつ爪があり、全身を覆う鱗も緻密に描かれています。大きな丸い目で睨みつける龍。のびやかに体をくねらせ、スルスルと上昇する姿には気のエナジーが満ち溢れています。この帛画は、さまざまな神々や霊獣にあふれる昇仙図で、漢代の人々の生死観を映し出す貴重な資料です。次の 図6 も、同じく前漢・前2世紀の玉器です。龍の部分だけを描き起した図ですが、獅子のような足と優美な尾をもつこの姿は、もはや空想動物の域を超え、目の前に現れた姿を形にしたように見えます。 図7 は唐代・8世紀の青銅製の龍で、獅子のようなたくましい足で大地をしっかりと踏みしめながら前進しています。体の長さは18センチです。
 唐代以降もさかんに絵画や彫刻のモティーフにされる龍ですが、現在知りうる最古の姿は新石器時代に、そのパワーあふれる勇姿の完成は漢王朝の時代まで遡ることができるのです。ちなみに、四種の動物で方位を象徴する四神も現在の組み合わせ(東は青龍、南は朱雀、北は玄武、西は白虎)が成立したのは漢代になってからです。漢代を知らずして中国文化を語るべからず、といっても過言ではないでしょう。

中国美術にみる誕生から完成まで 福原庸子(横浜ユーラシア文化館)
参考文献
『中国国宝展』東京国立博物館・朝日新聞社編集、朝日新聞社2000年
『世界美術大全集 東洋編1・2巻』小学館 1998〜2000年


 
 
横浜ユーラシア文化館
 古代中国の神獣画像 そして、龍は舞い降りた

世界的に貴重な漢代画像石を通して古代中国の宇宙観を紹介する特別展を開催中。展示されているのは、今回初公開の館蔵拓本資料などで、3メートル以上もある巨大な龍の姿や、華麗に舞う鳳凰の姿などが楽しめます。
2千年も前に地下墓室の壁面に刻まれた神獣たちが、いま、何を語ってくれるのでしょうか。吉祥をもたらしてくれるに違いありません。

12月5日(日)まで

横浜ユーラシア文化館
横浜市中区日本大通12
045-663-2424

●地下鉄みなとみらい線
日本大通り駅3番出口徒歩0分
開館時間: 9:30〜17:00
(入館は16:30まで)
休館日: 毎週月曜日
(祝日の場合はその翌日)
入館料: 一般 200円
小・中学生100円
(その他、セット料金あり)
http://www.eurasia.city.yokohama.jp/

 


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