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 店内の赤く大きな中国ランタンが印象的な中華街大通りの物産店【萬順行】。1階はお土産、オリジナル調味料などの食料品、お茶といった中国アイテムが一堂にそろう。2階は工芸品が並ぶなか、大きな墨絵が2点掛けられている。

  長野県戸隠の、激しい雨で増水した川の情景が描かれた『雨後』、そして心洗われる『白衣観音』は、ともにこの店の主・廣元清美(ひろもと きよみ)さんが30歳前後の時に描いたもの。

  廣元さんはこの2点を国際公募美術家連展に出品し、今年2月に『雨後』は内閣総理大臣賞、『白衣観音』は優秀賞と、ダブル受賞を果たした。「新人が出てきたということで、審査の先生たちは評価するのが大変だったようです。」

  廣元さんの画は墨の緻密な一筆一筆で構成されていて、一般的に見る自在な筆の墨絵とは違って見える。「私の画は、一筆で一気に描く南宋画系の墨絵に対し、北宋画系の写生的な描写なんですよ。」 

  高校生のころから結婚するまでずっと、廣元さんは須加五々道先生の教室に通って指導を受け、この度の出展も勧められた。「先生はもともとは日本画で、日本画に近い墨絵を独自に開拓した人です。」

  「廣元」は清美さんが日本籍になったときの姓。旧姓は仇で、雅号は仇元(あだもと)清美である。

  父・仇元明さんは浙江省出身のもと船乗り。台湾出身の母は、「おじいちゃんに日本で教育を受けるよう言われて」41年に、長兄が医学を勉強中の日本に来た。二人は関西で出会って結婚、のち母は父の船が着く横浜に移り住んだ。

  51年生まれで今54歳の清美さんが小2のとき、父は船を降りこの街に定住。初め美容室、その後、喫茶店・飲み屋などを営み、中華街東門に近いこの土地が売りに出されたのを買って【萬順行】を創業した。清美さんが小5の時で、以来44年ほどになる。

  須加先生に画才を認められ、人を教える才覚もあるから教室を出しなさい、と勧められた清美さん。店の3・4階は空いていたけれど、父は「教室はだめ。商売ならいい。」と、教室を出すことを認めてくれなかった。「今でも人の絵を見て、ここをこうするとよくなると教えてあげ、喜ばれるんですよ。」


  横浜中華学院の老師に「いとこを紹介するから友だち付き合いしてみないか?」と台湾から日本留学中の青年を紹介され、一つ年下のその師位君さんと結婚したのは31歳のとき。「性格が優しくておとなしい人。父も喜んでくれた。」

  父亡きあと母が店を切り盛りしていたが、母は8年前に亡くなる前、一人娘の清美さんに店を託す。店を株式会社にし、清美さんは代表取締役社長に就任。いま清美さんがこの本店、ご主人の師さんが南門シルクロード通りにある支店【南萬順行】と、それぞれが分担して経営している。

  6女に恵まれ、長女はイギリス、次女はカナダに留学中。「何を勉強するの?と聞くと長女は『財務を勉強する』ですって、店のことを考えているのかしら。次女は私の影響か、『写真の勉強をしたい』と言っているんですよ。」お嬢さんたちのことを話す清美さんはお母さんの顔。「娘たちがみんな年頃なので、家の中で男一人、お父さんはどこに行ってよいかわからずウロウロしている。」と笑って語る。


廣元清美さん


トルコ、オリーブの木の下で
  実は清美さん、誕生時の股関節脱臼が30代に悪化し、今は「手すりのない階段が困る」状態である。しかし日常的には電動車いすを使って一人で中華街を走り回り、食事に出、買い物に行く。バッテリーを満タンにして、天気がよければ「みなとみらい」まで散歩に行くし、「泊まりの旅行も行きたいところがあれば、人に頼んで連れて行ってもらいます。」と、元気。

  「パッケージの画を描いたり、商品を企画することが楽しい。」と商売を楽しんでいる清美さん。『白衣観音』完成後に下絵まで描いて以後手を付けないままになっているという大作を、ぜひ、いつか、完成させてほしいですね。
【萬順行】http://manjunko.com/

(インタビュー 新倉洋子)

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