美中生韻
隠れた名品中国のガラス2
竹田多麻子(横浜ユーラシア文化館)
  中国・漢(前2世紀―後2世紀)の時代のガラス製品は、鋳型を使って鋳造する方法で作られました。この頃の中国のガラスには鉛がたくさん含まれていますが、その理由は職人たちが鋳造に適するように工夫したからではないかと考えられています。鉛をガラスに入れることで、ガラスは低い温度でとけることができます。また、ガラスが冷めにくくなり、鋳造の際に鋳型のすみずみまで流れるようになってとても便利なのです。5世紀の北魏の時代になると、西方で生まれた吹きガラスの技法でガラス容器を作るようになりましたが、その技術は西方に比べると劣るものでした。

 このように中国のガラス製品が独自に発展していく一方、シルクロードによって東西交流が盛んになると中国にはさまざまな地域のガラス容器が輸入され、貴重品として扱われました。ローマ帝国の吹きガラスやササン朝ペルシアのガラスなどです。

 日本でも有名な正倉院宝物などに伝わる「白瑠璃碗」は、ササン朝ペルシアで作られ、シルクロードを通って中国や日本にも伝わったカットガラス碗です。薄い黄色や緑色をした透明のガラスで、円形の切子がガラス全体に施されています。中国陝西省咸陽の王士良墓でも、この「白瑠璃碗」と同じような切子が施された浅皿が見つかっています。ササン朝ペルシアのこのようなガラス容器は、ガラスを吹いて碗を作り、それから回転させたグラインダー状の物で切り子を施したのだと考えられています。碗が厚手に作られているのは、薄く作る技術はあっても、交易の品として長い輸送に耐えられるように、わざわざそうしたともいわれています。

 切子のガラス製品はユーラシア大陸のいろいろな場所から大量に出土しているのですが、不思議なことに、切り子を施したとみられるグラインダー本体はまだ見つかっていません。どのように作ったのか、詳しいことはわかっていないのです。

カットガラス碗
イラン出土 ササン朝ペルシア(6〜7世紀)
横浜ユーラシア文化館が所蔵するカットガラス碗。ガラス質は劣化し透明さは失われていますが、ほぼ完全な形をしています。正倉院の白瑠璃碗(しろるりわん)と同じ形のもの。


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