98年の春節(中国で一番の祝日、日本の旧正月にあたる)。当時天津で留学をしていた私は、中国人の友人の自宅で初めて「中国のお正月」を過ごしました。
大晦日、それまでも外で爆竹がかなり激しく鳴っていたのですが、夜の11時半を過ぎた頃から「何が起こったの?!」というくらいの激しさで爆竹が鳴り始め、怖いくらいでした。その時に友人が「北京では爆竹が禁止されていて、車で天津まで来て鳴らす人もいるんだよ。だから天津の春節はとてもにぎやかなんだ。」と教えてくれたのでした。
05年の春節。日本へ帰国するチケットが取れなくて、結局春節を北京で過ごすことになった私を、大晦日、友人が家に誘ってくれました。毎年友人一家は叔母さん一家と過ごすそうです。
夕方、友人の叔母さんの家に行くと、もうたくさんの料理が用意されていましたが、「まだまだあるのよ」と、叔母さんが料理を用意しています。その間、他の人たちはお茶を飲み、テレビを見ながらおしゃべりをしています。お友だちなどが電話をかけてきて、「過節快楽」や「春節快楽(春節おめでとう)」などの年越しのあいさつをしています。私の携帯にも年越しのあいさつの「短信(ショートメール)」がひっきりなしに入ります。
すべての料理が食卓の上に並ぶと、白酒(こちらはアルコール度数が高めの白酒(蒸留酒)を飲む人が多いです)を各自のコップに注ぎ、飲めない人はコーラ(こちらは冬、飲み物を冷やして飲む習慣がないので常温です)で乾杯。
土地によっては、「余」と「魚」の発音が同じことから、「お金が余りますように」と魚を食べたりするようですが、この家では、自分たちが好きな「四喜丸子(肉団子)」などを作って楽しく食べることが重要なんだ、とのこと。
食事が一通り終わると、みんなテレビを見ながら瓜子(ひまわりの種)などを食べながらおしゃべりを。すると「ぱん、ぱん、ぱん!!」と爆竹の音が。
「爆竹は禁止されているはずなのに。」とびっくりする私に、「もちろん北京の五環路の中側で爆竹を鳴らすのは禁止されているんだけれど、やはり爆竹のない年越しは寂しく、こうやって鳴らす人がいる。警察も本当は鳴らす人を捕まえなければいけないけれど、わざとゆっくり行って捕まえないんだよ。」とのこと。
普通は12時前に餃子をゆでて、年越しそばならぬ年越し餃子を食べるそうですが、叔母さんの手料理でおなかいっぱいだった私たちはゆでるだけになっていたものの、餃子を食べずに年越しです。この時、外の爆竹が激しくなりました。
みんなはこれから、夜通しおしゃべりしながら過ごすそうですが、私は12時半過ぎにタクシーで帰ることに。
中国人の伝統的な年越しは、禁止されようがやはり爆竹と共にあるようで、今年北京では13年ぶりに爆竹が解禁です。
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