|
||
| |
||
「開店当初は、寿司・日本そばに洋食・中華もある、高級お好み食堂だったようです。」と【和楽園】の歴史を語る廣民さんは、継安さんの4男。 そば屋らしからぬ外観、内装はコンクリート打ちっ放しの壁に吹き抜け、2階は無国籍風…。廣民さんは2年前に、建物が老朽化し「店を閉じて引退する」と言う兄・民慶さんを説得してビルに建て替えた。「大変出しゃばりまして、自分で図面引きから工務店の手配からやって建て替えたことで、みんなからは恨みを買っていますよ、ハハハ。」「店のしつらえは、そば屋という固定観念から離れたかったんです。」そばにはこだわる。石臼で粉をひき、活性水を使ってまろやかな味を出し、つゆは47年の創業以来の秘伝の製法。「素材にはこだわりながらもメニューには広がりをもたせたい。」ご自分は清掃会社アイシン商事を経営しながら、昼だけ店を手伝っているとのこと。ところで、タイの華僑・アタムさんと、日本の華僑・みどりさんには、どのようなご縁が? 92年にみどりさんは、北京にある華僑のための中国語補習学校「北京華僑補校」に留学。ここに、タイから留学していたアタムさんがいた。しかし「この時点ではアタムはお友だち、というだけ」で、アタムさんとの縁は生まれなかった。1年後にみどりさんは帰国、親戚の永楽製麺所に勤める。そして96年、友だちがたくさんいるのでタイに遊びに行って、そこでアタムさんと再会したのでした。 2人はこの遠距離で4年おつきあいをして2000年にゴールイン、タイで新婚生活を始めました。アタムさんの父は広東省出身華僑、母はタイの人、当時アタムさんは溶接業を開業していました。 「タイの華僑はバンコクに集中して住んでいて、人口の半分くらいいるように感じましたよ。生活も、中国語が通じるので全然不便はなかった。」でも、ホームシック。2年でタイの生活を切り上げ、ご主人ともども日本へ。 「タイはゆっくりね。日本はみんな、なんでも急ぐので大変。忙しい。だいぶ慣れた。でも、慣れていないとき、ストレスで頭が痛かった。」とアタムさん。日本語も上手になった。わからないことは、周りの人に中国語で聞く。彼は3歳の長男にタイ語で語りかける。「子どもは聞いているだけでまだタイ語を話しませんが、言うことはわかっているようです。」とみどりさん。子は家でタイ語と中国語と日本語、保育園で日本語、いずれ学校で英語を学ぶ、これをなんというのでしょう? 若い2人は社長である父を助け、親子・親族が働く【和楽】の「要」となる。「タイ料理は甘い、酸っぱい、辛い。そばとタイ料理をミックスした料理メニューも開発したいし、いずれタイ料理もあるお店にしたい。」2人目の子が8月に誕生の予定で、将来への希望も大きくふくらみます。 【和楽】 〇四五(六八一)七二六六 |
||
| (インタビュー 新倉洋子) |
||
| |
||
| |
||
| webmaster Copyright 豆彩 ©oisii-net |
||