| 美中生韻 | |
| 唐代はシルクロードがひときわにぎわった時代です。西方からゾロアスター教、キリスト教、マニ教、イスラム教などの異国の宗教をはじめ、さまざまな文物や技術が中国に伝わりました。世界的な国際都市となった都長安では空前のペルシア(胡)・ブームが巻き起こり、貴婦人の心を魅了しました。胡食・胡服を愛してやまなかった楊貴妃(719―756)は舞の名手でもありましたから、当時流行した西方のダンス、くるくると急回転する胡旋舞(こせんぶ)をマスターしていたかもしれません。馬毬(ポロ)もペルシアで起こったもので、長安の貴族の間で大流行しました。こうした記述から目に浮かんでくるのは、細身でしなやかな身のこなしの楊貴妃かもしれません。しかし、彼女の時代にはたいそうふくよかな体型が理想とされていました。 それでは、当時の流行を砂漠の大画廊、敦煌に探してみましょう。敦煌の仏教美術は質・量、聖・俗ともに情報の宝庫です。壁画や彫像を時代順に眺めていくと、開元天宝時代(713―756)の仏・菩薩そして俗人もふっくらとした量感で表され、長安の理想美を色濃く反映していることがわかります。胡旋舞の様子も敦煌壁画からうかがい知ることができます。7世紀、第220窟の阿弥陀浄土図(南壁)および薬師浄土図(北壁)には、伎楽を奏でる菩薩のオーケストラにあわせて、長いスカーフをなびかせくるくる回転している舞人が描かれています。胡旋舞は西域の康国(サマルカンド)が得意とした舞で『新唐書』に「胡旋舞は風のように旋転する」とあり、唐の代表的詩人、白居易(白楽天)も、「疲れを知らずに左旋右転する胡旋女」に注目し、詩を詠んでいます(『新楽府』五十篇の第八「胡旋女」)。
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