美中生韻 | |||||||||||
異文化の造形に共通点を見出したとき、シルクロードを往来した人や物の交流の証を目の当たりにしたようで、「どちらが先?」「影響関係は?」などと興味をそそられるものです。ここにご紹介する横浜ユーラシア文化館所蔵のイスラーム陶器は、10〜11世紀にイランで作られたペルシア三彩です。ペルシア三彩は、中国の唐三彩に色が似ており、9〜10世紀には中国製の陶器が中近東へも輸入されていたことから、唐三彩の影響ではないかと注目されてきました。 三彩は緑色、黄色、褐色、藍色などに発色する釉薬(ゆうやく)を2種類以上使って華やかに装飾する技法で、そのように彩られた陶器も三彩と呼びます。釉薬というのは、ガラス質を主とする泥状の溶液です。釉薬をかけて焼成(しょうせい)した陶器に光沢があるのは、熱で溶けたガラス質が薄い膜をはるからで、このガラスの膜が水分の透過を防ぐのです。ガラス質の成分の他、色を出すための呈色剤も溶かし入れます。緑は、呈色剤に酸化銅を用いた銅釉、藍はコバルトを用いたコバルト釉、黄や褐は酸化鉄を含む鉄釉が作り出す色です。さらに釉を溶けやすくするために加えるのが熔媒剤で、三彩に用いられるのは鉛釉です。これらの配分と、窯の中の温度や酸素の量など、焼成条件も発色を左右します。 写真のペルシア三彩は、次のように作られました。@陶土(陶器を作る粘土)には赤みがあるので白土を溶いて素地にかける。A釘のように尖ったもので表面に文様を刻む。Bその上から緑色に発色する銅釉、褐色に発色する鉄釉をたらし込む。Cさらにその上から無色透明のガラス質の釉薬をかける。D焼成する(このとき窯の中の置き方で釉薬の流れ方が決まる)。@は白化粧ともいいますが、中東で産出する陶土は黄褐色か赤褐色であり、中国のものほど白くはないので欠かせない工程。Aの刻線文様は唐三彩にはないもので、ペルシア三彩の特徴です。 果たして、ペルシア三彩の誕生は本当に唐三彩がきっかけとなったのでしょうか?実は、中近東に渡った唐三彩の数が極めて少ないことや、イスラーム時代以前のローマ陶器における鉛釉との関係も調べる必要があり、謎解きはまだまだ続きます。
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