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「街の発展に伴い近年、人が集まるから広告によいと大型ビジョンを設置したり、歩道にまで商品を積んで通行を妨げたり、ゴミの不法投棄、さらには客引きなど、社会規範に違反する事柄も多くなっています。」街では関係団体・者が集まって横浜中華街「街づくり」団体連合協議会を結成し、2年前に「横浜中華街 街づくり協定」を制定するなど、横浜中華街の景観とコミュニティを次世代に引き継ぐべく、努力しています。「日本での生活が長く、5世、6世になる老華僑は、日本と中国の両方を見てきました。「落地生根(異郷の地に根を下ろして生きる)」「安生楽業(仕事を持ち安定した生活をする)」をめざすには、日々暮らす場がよくあってほしい、2つの国が仲良くあってほしいと願っています。外部資本や新華僑の流入に伴って起きる諸問題の解決に、老華僑社会はその役割を果たすべきでしょう。」 曽社長は、広東省から来日した両親の下に40年、6人姉弟の長男として横浜中華街に出生。 「自分は中国人」と意識したのは神奈川県立翠嵐高校に進学し日本人社会に触れてから、と言います。中学までは横浜山手中華学校に通学。「学校では全て中国語で、日本語と英語の授業が小5で同時に始まりました。そのころ日本語は、日本の少年向け月刊マンガや手塚治虫のマンガを読んで学んだ。マンガから人生を学んだんです。今でも『ビッグコミックオリジナル』は愛読書。」
「横浜中華街は食の街。食を基点として、この街に生きる人々、数々のおいしさの物語、そして背景にある中国文化を、中国陶磁器の一つ「豆彩」に盛り付けるように」97年に創刊した本誌『豆彩』は、おかげさまで67号を数えました。ご高覧感謝申し上げます。次号よりインターネットで配信予定です。 |
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(インタビュー 新倉洋子)
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