東方の女性
鞏俐(コンリー)


写真:『中国電影回誌』珠海出版社
中国映画の現在
張頤武・戴蔚然(東京大学)

 ドイツベルリン映画祭の新千年紀の第一回映画会議に、中国の映画女優鞏俐が2000年ベルリン映画祭評議委員会委員長として招待された。西洋映画が主流の世界の映画界にあって、中国人としてアジア人として初のことである。西洋の人が東方にはるかに思いをいたすとき、鞏俐は神秘的な中国そのものであり、ロマンチックな東方そのものである。
 山東省出身の鞏俐は、1987年に張芸謀の『紅高粱(赤いコーリャン)』に出演してベルリン映画祭最優秀女優賞を獲得したのを皮切りに、二人が協力した映画のほとんどが、西洋の映画祭で大小さまざまな賞を獲得している。90年『菊豆』、91年『大紅灯籠高高挂(紅夢)』、92年『秋菊打官司(秋菊の物語)』、94年『活着』、95年『揺阿揺、揺到外婆橋(上海ルージュ)』、そして93年陳凱歌監督『覇王別姫(さらば、わが愛)』に出演し、張芸謀と陳凱歌が西洋に感性あふれる中国を紹介したとき、当然主演女優の鞏俐も西洋人が思い浮かべるところの東方の顔となったのである。貧しい村の婦人、田舎町の若妻、学生出身のめかけ、最近の農村女性から旧上海の社交界の花などなど、映画を通して中国を理解した西洋人が想像する東方の女性とは、ほとんどすべて鞏俐が演じた役柄である。鞏俐の演技こそは中国でもっともすばらしく、鞏俐の役柄こそはもっとも重要である。このようなチャンスは彼女のほかのだれにもなかった。比較的はやくに認められ、演劇界の移り変わりの激しさに紛れ込まなかったことで、鞏俐は西洋の観客に自然で装飾を取り去った本来の東方の美を知らしめたのかもしれない。
 鞏俐のように世界的に高い評価を受け、鞏俐のように西洋映画界に厚遇されるアジアの俳優はいまだかつてほかにいない。中国人の俳優が世界へ出ようとするとき、言葉が最大の壁だと人々は考えていた。実際、流暢な英語を話す中国系の俳優がハリウッドで活躍しているが、言葉の壁はベルリン映画祭委員長としてのあいさつになんら影響しない。抑揚のある彼女の中国語は、西洋の観衆に彼女の東方的な優美さをさらに深く感じさせる。(原文中国語)




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