世界の街角で

音楽の愉しみ
ドイツ編

文と写真/劉燕雪


 さる劇場の企画による「ゲーテ街道音楽の旅」というツアーに参加した。成田を飛び立ったルフトハンザ機は、北に進路を取り、シベリアの白い大地を横断しヨーロッパ大陸に入った。南下する機上から見たドイツは深い森、緑の田畑、点在する美しい色彩の村々とまるでメルヘンの世界である。六月のドイツは長い冬が行き、百花咲き乱れる春たけなわ、人々の表情もどことなく明るくウキウキして見えた。青春の日に愛唱したシューベルトの歌の数々、今も愛してやまない音楽家たち、それを生み育んだ母なるドイツ、ヒットラーは大嫌いだが、大戦後、国をあげて償い続け、ベルリンの壁崩壊後は国家統一の大事業に苦闘するこの国への関心は尽きない。長いこと訪ねたい国の一つであった。
 音楽の旅ゆえに音楽会のメニューは豪華版である。ロッシーニィーの『セビリアの理髪師』、グランドオペラ『アイーダ』の二つの歌劇とベルリンフィルコンサート、プライベートコンサートは音楽大学の学生によるクラリネット五重奏(モーツアルト)というラインナップ。ドイツのオペラはコーミッシュオパーの『魔笛』を横浜で聞いたことがあったが本場で聞くオペラはさらにすばらしい。
字幕がないので、細かい会話はわからないがその分音楽の美しさにひたりきることができ安定しゆったりした気持ちで聞くことができた。ゆったりしすぎて眠りへ導入されてしまうこともしばしばであったが、時差ぼけと睡眠不足に加えておなかの不調と同行諸氏ともども厳しい体調であった。『セビリア』の楽しく軽快なイタリアンテイスト。『アイーダ』のすばらしいソプラノとコーラス、それは今も耳の奥に響いている。このベルリンドイツオペラの合唱は特に有名であのカールベームもご指名だったというほど。
 コンサート会場について言えば、建物は石造りで堂々としているが内部は非常に簡素だ。所々修理の跡も見えたりする。日本のそれはどこも新しくピカピカなのとは対照的。この会場でシーズン中は毎日オペラやバレーが上演され、月数回しか公演のない日本とは大きく違うところである。観客はごく一般的市民と見受けたが年輩者、ご夫婦連れが多く、若い人もあり学生風の人も多い。あまり社交的ではなさそうだが心から音楽を楽しんでいるという雰囲気の人々である。
 ベルリンフィルの演奏会はさすがに人気で超満員。切符を取るのに四苦八苦したと担当者の話であった。当日の指揮者はレバイン(メトロポリタン歌劇場の人気指揮者)でおもしろい取り合わせ、プロコフィエフの第五交響曲が演奏された。すばらしい響きであった。このホールは1963年に造られたものでベルリンの壁のすぐそばに位置している。旧市街の中心に造らずにあえてここに建設したのは統一を念願するドイツ国民の意思を表したのだとガイド氏は話していた。90年壁崩壊後一帯の再開発が進み高層ビルが林立する様を車窓から見ることができた。首都移転も果たしいまではこの「ポツダム広場」がベルリンの中心になっている。

 統一の象徴ブランデンブルグ門の前で参加者一同記念写真に収まる。このツアー参加者は中高年の二人連れと女性グループ、家族連れで常連が多いそうだ。みな音楽好きなので音楽が取り持ち、話の花が咲く。40名の団に主催者側から3名、JTBから2名、現地ガイドとケアーもイタツクである。日程は余裕で観光についてはオプションもあり疲れたらホテルでのんびりということも可能であったが、私たちはせっせとベルリンでの日程をこなした。


 行きは上空から俯瞰した国土を帰りは陸路を行く「ゲーテ街道」、ライプチッヒ・ワイマール・フランクフルトまでを訪ねる旅だ。ドイツの高速道路はアウトバーンと呼ばれ速度制限なしでぶっとばすので1泊2日の日程でこなすことができる。紙面の都合上この稿はここで終わるが機会があったらまたその旅のことも書きたい。


※写真キャプション(上から順に)
ドイツ州立歌劇場で『セビリアの理髪師』を聞く
リストの住居にて、筆者
ベルリンフィルハーモニーホール前で
ベルリンの壁前で、ツーショット
ブランデンブルグ門の前でツアーの皆さんと





 



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