中華街でニイハオ!
拓 TAKU


林松山さん

 授業の終わりのチャイムが鳴る、日本語教室のドアが開き、「ただいま」元気な声。「おかえり」と迎える林松山(りんしょうざん)先生。壁にはこの教室に通う子供の出身地が示された世界地図。
 ここは横浜市立元街小学校。明治の時代から外国人の住居・教会・学校が立ち並ぶ国際色豊かな地域、横浜山手地区にある。外国籍児童は全校児童の2割近い78名、うち26名が「日本語教室・国際教室」に通う(2000年2月現在)。横浜中華街に近いことから、中国籍の児童が多い。この教室は日本語の習熟・教科学習の補助・生活指導をする2人の専任教諭と、外国語に堪能な日本語指導協力者(林先生とほか2名)が連携して運営している。
 林さん、1926年三重県生まれ、73歳。長く華僑団体の仕事をしてきた。元街小では編入してくる外国籍の児童が急に増えたことから、81年、林さんを非常勤講師に迎えてここに日本語教室が開設された。それ以来、初めて異文化に触れ言葉や習慣の違いに戸惑う子供たちを暖かく見守って19年がたつ。7年間は1人で奮闘、一時は市立港中学の日本語教室を掛け持ったこともあった。現在は週2日、ここ元街小に勤務する。 児童は在籍の学級が国語や算数を行っている時間にこの教室にかよう。いすに座る林先生を囲んで机がコの字型に並べられ、授業が始まった。広い中国には標準語である北京語のほかに方言が多く、方言が違うとまったく別の言葉のようで通じない。

林さんは北京語・上海語・福建語・広東語・台湾語などなど、子供の出身地方の言葉を使って子供の気持ちをときほぐし、学習の理解を助け、日本語を教えている。「子供は自分の意志で日本に来たわけではないので、その気持ちが日本語の習熟にも影響してきます。日本での生活に意欲が持てるように、ここへ来るのが楽しいと思わせることが大切ですね。」「一人の子供と地方の言葉を使って話していると、それが分からない別の子が焼きもち焼くんですよ。」と笑う。
 この教室で日本語の基礎が理解できると、クラスに戻って授業を受ける。一方、日本に慣れると国の言葉を忘れがち。忘れかけた故郷の言葉もこの教室に顔を出して林先生と話をすると思い出す。「自分の国の言葉も大事にしてほしい。」と林先生は願う。
 5歳のとき民族教育を受けさせたいという両親の願いで中国福建の親類に預けられた少年は、日中戦争で両親との音信が途絶える。各地を転々とした後、親に会いたい一心で再び日本の地を踏んだのは51年。中国の方言は身についていたが、日本語は話せなかった。「自分自身日本語が話せず、苦労して学んできたから、人より何倍も子供の苦労するところが分かります、同じ苦労をさせたくないです。」試行錯誤して教材を考案してきたが、それは言葉にとどまらない。「昔の私を思い起こし、子どもが社会にとけこめるように導くのが私の仕事の基本。」
 子供のためにはその親との関係も大事。学校と保護者の橋渡しである。「保護者との信頼関係を築くことが必要ですね。」家庭といつでも連絡が取れるよう、在校の教え子のリストを常に持ち歩く。
 林さんはまた、大人を対象にした日本語学習会「互相(フーシァン)学習会」の開設以来の中心メンバー。多くのボランティアが参加して中華街など三か所で開くこの地域活動は十余年たった。穏やかな笑顔のかげの持続の力に驚く。
 「この仕事をしてきて、意義ある人生を生きていると感じます。」「喜びです。ありがたいと一日一日かみしめてやってきました。」「初めは2、3年の約束だったんです。でも今はもっともっと続けたいな。自分の願いとしては、4月に20枚目の辞令がもらえれば大願成就ですね。」と、何気なく引き受けたこの仕事を振り返る。
 背広から初孫の林大紀ちゃんの写真をそっと取り出す、とたんにおじいちゃんの顔になりました。(インタビュー新倉洋子)





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