唯一の監督
謝晋(シェジン)


写真:『中国電影回誌』珠海出版社
中国映画の現在
張頤武・戴蔚然(東京大学)

 謝晋は浙江省上虞出身、1948年に映画の助監督になり、すでに50年の経験がある。
 この50年、謝晋の作品はいずれも中国社会で生きる人々の意識の微妙な変化を反映してきた。例えば、『牧馬人』では、一人の素朴な農村の娘が都会から改造のため下放されて来た「右派」の男性を愛するようになるが、その男性は都会に戻って巨額の遺産を受け継ぐことになり、境遇に変化が生じる。そのとき彼は、妻の真摯な愛によって貧しく平凡な農村生活を選択しそのまま一人の牧童として生き続ける、というものであった。『芙蓉鎮』は「文化大革命」期のある小さな街の豆腐売りの女性を主人公としたものであった。彼女は当時の社会における大きな政治的圧力に耐え、頑なに自分の愛を貫き通した。中国がまだ閉鎖的だったころに、謝晋の映画のスタイルはすでに、遥か離れたハリウッドと軌を一にしていた。悲喜交々の内容、一人一人の魅力を十二分に引き立たせた配役、流暢にして簡潔な物語など、これらの映画は中国の庶民に影響していった。映画の中のセリフは日常生活で使われ、映画の登場人物はあたかも昔なじみの友人のように人々の話題にのぼった。特に彼の映画に出演した俳優は、おおむね映画が完成するまではまったくの無名だが、公開された後には一躍その当時のトップ・スターになっている。この点が謝晋の最も不思議なところではないだろうか。今日の中国映画界のほとんどの大スターは、謝晋の映画で転機をつかみ、トップ・スターへの道をのぼり詰めたのである。99年に東南アジアの中国語圏で大ヒットしたテレビドラマ『環珠格格』のヒロイン―小燕子の最初の映画も謝晋が監督したものである。90年代に入って、謝晋は80歳を超えたが、依然として仕事に励んでいる。97年に製作した『鴉片戦争』は中国近代史を叙事詩のように描いた一大巨編であった。
 90年代に入ると、謝晋の年齢の半分にも満たない張芸謀や、陳凱歌が観衆の注目を集めるようになった。西側では張芸謀、陳凱歌といった名が中国映画の象徴とされるようになった。しかし、中国の観衆にとって、張芸謀や陳凱歌の映画は多くの点で世界に目を向けており日常生活とはかかわりがない、ととらえられている。60年代から80年代の映画が中国人に与えた大いなる満足感と比べると、映画の黄金時代はもう二度とやって来ないような気がする。観衆の映画に対する熱中ぶりはすでに過去のものとなってしまったようだ。このことからすると、謝晋は張芸謀や陳凱歌よりずっと幸せだと言えよう。なぜなら、彼の映画は正にこの黄金時代に頂点を極めたのだから。50年にも及ぶ監督人生において彼は中国人の感情に未曾有の影響を与えた。このような監督が他にいるだろうか?謝晋ただ一人だろう。(原文中国語)


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