中華街でニイハオ!
躍 YAKU


曽峰英さん


 悟空・立川中華街店、昨年4月開店。豊富な中国茶とオリジナルデザート・点心。適度の空間にずっしりとした中国家具が置かれる。全てが本物でありながら、親しみあるくつろぎの時間が流れる。
 「毎日決まった時間にいらして決まったお茶を飲まれる方いらっしゃいますよ、いらしていつも2時間本を読む人も。」ほほえむのは、この「悟空」をプロデュースした曽峰英(そうほうえい)さん、1969年生まれ31歳。
 「悟空」は約20年前に横浜中華街に中国茶葉専門店を開き、日本に初めて烏龍(ウーロン)茶を紹介した草分けである。その「悟空」が中国茶館を設けたのが、ここ東京立川駅駅ビル、グランデュオ7階にある立川中華街店。
 悟空立川店はどんなお店ですか。「お好きなお茶をお好きなようにお好きなだけいただいてお好きな時間を過ごしてください、かな。何時間いてくださってもかまいません、大河の流れのごとくゆったりと過ごしていただきたいお店、ですね。」「お客様に言われたんです、悟空は構わないでくれるのがいい、だからこの店を人に教えたくないんです、って。」意図していたようなお店になりつつあることがうれしいと言う。「茶の作法うんぬんより、中国茶が気軽に習慣づいてくれるとうれしい。」

 峰英さん、人は「ホイン」と呼ぶ。ホインは働き者。「働くのは好きですよ。小さいころから親の仕事を手伝って、クラゲやザーサイを袋詰めしてたんですよ。少し大きくなって甘栗を店先で売ってたときは、それなりに工夫しておいしいって言われたなぁ。まあ、のめりこむほうかな。」
  ホインは十代のころから親族の経営する中国料理店で働いてきた。「十代のときはほんとによく遊んでましたね、親に心配かけて。給料はみな遊びに遣ってた、遊びたいから働いていたようなもの。」「ものを知らない、手に職ない、頭もない、だけどこのままラーメン運びでいいのかな、って思ったのが24歳のとき。」もっと知識がほしい、もっと責任ある仕事をしたい、いずれ商売をやってみたい、と夢が生まれたとき一念発起してビジネス専門学校へ通う。「商売をやるにしても、経営者的な知識を学びたいと思った。」この学校で、未来のご主人に出会う。
 2年後に卒業して、元の料理店で「腰を据えてやるぞ!」という気になっていたそのとき、会社の方針で中華食材会社へ配置換え。「泣きたかったですよー、悔し涙。」そこでは食材のレシピづくりから広告を手がけ、仕事で中国茶にかかわった。「お茶って商品として好きだった。」乗り気でなかった中華食材会社だったが、そこで商品知識は格段に増え、ビジネスのやり方も体験した。その知識経験は今では財産でさえある。
 今までのホインの経験を1つに統括するかのような、中国茶館「悟空」立ち上げの話があったのは98年夏であった。「こういう茶館をやりたかった、飛びつきましたね。」「それから先は趣味の世界です、ハハ…。お茶をどのようにお出しするか考えては茶器を集め、こういうお茶を置きたいと考えては大陸へ行き台湾へ手を伸ばし、内装をこうしたいと思っては、設計者を香港へ連れていって見せて、進めたんです、この話。」
 昨年11月、ホインは中国杭州へ飛んだ。訪ねたのは中国杭州茶葉研究所の茶葉感官審評技術培訓班。中国全国から参加した茶農家や製茶業者に混じって、中国茶の品評技術講習を受けてきた。「基礎的な体系的な知識がないのに気づいたから。」
 中国茶館プランナー・ホインは、オリジナルガラス茶器を開発するなど、やる気マンマン。「私は今、中国茶に夢中! お茶の魅力と、お茶を取り巻くくつろぎの時間、空間を提案したい。」
 横浜中華街「悟空」を本拠に飛び回る彼女を支えるのは堀内成吾さん、2年前に結婚した。「彼はだれに対しても何に対しても優しい思いやりのある人。私のトム・クルーズよ。」ごちそうさまでした。
(インタビュー 新倉洋子)






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