来而不往非礼也
胡興智(日中学院講師)


イラスト/浅山友貴




 贈り物はコミュニケーションの大事な手段の1つであり、人間関係を円滑にさせる重要な潤滑油でもある。なにを贈るかは国によって違う。たとえば、私は日本に来て、初めのころ(留学のため、17年前来日)、友人の家に訪ねたとき、菊の花を持っていった。友人の受け取った時の妙な表情は気になったが、その家のおばあちゃんは花を仏壇に持っていき、口で何かぶつぶつ言いながら、供えた。日本人の菊の花に対するイメージがどういうものか分かったのはずっとあとのことだった。幸いなことに友人の家に行った日はお彼岸の日であった。怪我の功名ということか、陰徳を積むことになった。
 「来而不往非礼也」、贈り物などをもらったあと、お礼を返すのはもちろん礼儀として当然のことである。しかし、どんなタイミングで返すかは、またさまざまで、違う文化を持っている人にとって、なかなか理解しがたいことがあるのではないかと思う。場合によっては全然違うサインとして受け取られ、誤解の元になりかねない。

  これも日本に来たばかりのころだった。東京で1人アパート生活を始めた2日目のことだった。大家さんに、自分の先生に描いてもらった水墨画を手にあいさつをしにいった。たどたどしい日本語であいさつをして、荷物だらけの部屋に戻り、ガスと電気の手続きを済ませた。ほっとして一休みして、部屋の荷物を片づけようとしたら、大家さんが少しお菓子を持ってあがってきた。大家さんが早口なのでしばらく状況をつかめなかったが、やっと先の水墨画のお返しだったことが分かった。にこにこした大家さんの笑顔が冷たく感じられ、彼女が帰ったあと、寂しい空気がダンボール箱の山を駆け回り、異郷にいる孤独感がいっそう強まった。すぐお返しされると、大家さんは私と付き合いたくないんじゃないかと思っているからだった。今までの習慣では贈り物をもらったら、その場でお礼を言って、時間を置いて、そのうち何らかの形(ものでなくても)でお返しするのが普通であった。そんなに早く返されると、せっかく縮めた距離は相手の気持ちが聞こえないほど開いたような気がした。習慣の違いからこの無形で透明な壁にぶつかった経験があるのは私一人ではないだろう。
 気持ちそのものはもっとも大事、自分の気持ちを伝える方法もとても大事だと思う。違う文化同士の人は付き合うとき、互いの習慣を尊重し、模索しながら、自分の気持ちや考えをしっかり伝える術を覚え、理解を深めていきたい。
         


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