現実に立ち返る


張頤武・戴蔚然(東京大学)


 海外の人々がまだ中国映画の陳凱歌、張芸謀といった「第五世代」、張元、王小師といった「第六世代」の監督しか知らなかった頃、中国ではすでに最も若い世代の監督たちが台頭し始めていた。彼らは意気消沈気味の中国映画界に新たな希望をもたらした。
 施潤玖監督の『美麗新世界』は外見ばかりに気を使い、毎日を無為に過ごしていた都会育ちの娘が、大都市で黙々と仕事にうち込む一人の真面目な農村青年の姿に心を打たれ、後に二人が結ばれるという話である。金 監督の『網絡時代的愛情』はコンピューター会社に勤めるエンジニアが、大学時代に密かに思いを寄せていた女性に紆余曲折の末、インターネットのBBS上で偶然巡り合うが、結局は結ばれずに終わるというものである。賈樟柯監督の『小武』は中国のとある辺鄙な田舎町の青年−小武の自堕落な生活を描いている。
 この三本の映画はいずれも二十代の若手監督の作品で、現代社会において富を追い求める人々のさまざまな姿を描き出している。『美麗新世界』は伝統的な生活観念に立ち返り、勤勉こそが正道であると説き、『網絡時代的愛情』は初めてコンピューター、インターネットといった「新しい経済基盤」における重要な要素を映画に取り入れ、新時代の到来を示している。逆に『小武』には先の二作品のような派手な彩りが全くなく、今日の「新しい経済基盤」に見捨てられた村人たちのやるせなさを浮き彫りにしている。
 映画評論家はこれら若手監督にまだ特定の呼称を与えていないが、彼らは明らかに先輩たちとは異なっている。第五世代、第六世代の監督はみな中国社会がかつて経験した荒波に自らかかわったか、あるいは深刻な体験を持つ者であり、それは彼らの人生における最も生気に満ちた時期であり、生涯忘れ得ぬものとなっている。これに対し、若手監督たちの関心は目下の社会生活やありのままの世界、現実の人生、切実な悩みなどである。例えば「第五世代」の監督が私たちを追憶の世界へと誘ってくれるものだとするなら、新興の監督は私たちを現世の難題に立ち向かうべく、現実へと立ち返らせるものだと言えよう。 (原文中国語)


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