世界の街角で

タイの中華街小記

文と写真/常杪((財)地球環境戦略研究機関)



7月の下旬、仕事の関係でタイへ行ってきた。タイという国は中国と深い縁があり、アユタヤー時代(14世紀中頃〜18世紀中頃)以来、中国系の人たちがタイに住みつき、タイの政治・経済・文化に強い影響を与えてきた。19世紀中頃、タイの貿易は飛躍的に発展していて、そこで一旗揚げようと志を持った中国人たちがタイに移住した。そのため貿易、商業の中心に中国人は深くかかわり本格的な中華街ができる条件が作られたのである。その中国系の人たちは長い歳月が流れていくなかでも、家族の中の人間関係や日常生活の端々に中国人としてのアイデンティティを維持し続けてきた。タイの中国人の出身地を言語別にグループ分けした場合、56%を占めて最大のグループとなっている潮州をはじめ、第2位の客家、第3位の海南島、第4位の広東、第5位の福建、といずれも中国の南部からの移民であった。現在のタイは多民族国家、主にタイ族(85%)・華人系(一10%)・マレー系・インド系・カンボジア系を中心に様々な民族で構成される。そのため、民族同士の混血がかなり進んでいる。

短期間の出張にもかかわらず、中華料理を食べたくて、バンコクの中華街へやってきた。中華街はアユタヤー時代から存在し、アユタヤーの人口の少なくとも約10分の1が中国人であったともいわれている。『タイ 自由と情熱の仏教徒たち』山田均著の中で指摘されたように、現在のバンコクを見る限りでも、地方から労働力として流れ込んできた人たちを除いては、中国人の血が入っていない人のほうが少数である。その意味でバンコクは巨大な中華街であるともいえる。バンコクの中華街はバンコクの都市建設よりも古くから存在しているようである。私の中華街のイメージは、あの横浜の中華街のように入口に派手な中国式の門、色鮮やかな店舗、通りの左右には中華レストランが延々と続き、肉まんや焼ブタの匂いが流れている中華街であったが、実際は私が想像していた風景とは違っていた。横浜中華街のようによく整備されているような街づくりではなく、どこからどこまでが中華街であるのかよく分からなかった。私はなにしろ、おなかが空いていたため、タクシーから下りて、中華料理の独特な香りをたどって、興味津々で店探しをしていた。食の原点は中華料理なのだと再び実感し、街全体の散策を待ちきれず、さっさと一軒の店へ入って、チャーシュウ、ワンタンといった一般的なものを注文し、夢中で食べてしまった。やはりこれは、私にとって懐かしい味だ!

店を出ると、通り沿いは食料品の店が建ち並び、食材の量と種類の豊富さに驚いた。食料品の雑貨店が多くて、よく見ると、大体2〜3階建てで、1階が店として使われ、2〜3階が住まいとなっている。店の中には、必ずと言っていいほど、床に小さな赤い祠が置いてあり、また、壁に関羽の像が飾られている、朝にはお線香と簡単な供え物が上げられるのであろう。中国の仏教の思想を実によく継承している。もっと驚いたことは、メインストリートに出たところ、「金店」がずらっと立ち並び、店の中をのぞくと、まぶしくて、私の目の中で金が光った。貯金感覚で金を買う中国人が多い。買い物客が多くて、落ち着いて買い物をする雰囲気ではなく、まるでバーゲンをやっているように、お客さんが殺到していた。タイは金の産地?安いの?買う予定がない私まで、買わなくちゃと思うほどであった。金は縁起が良いので、何かいいことがあるようにとブレスレッドを買ってしまった。ほとんどの店は中国語を話せる華僑の人たちがいて、楽に買い物ができる。真夏の強い日ざしの中での中華街の散策は疲れ果てたが、私の大好物「瓜子(ひまわりの種)」を忘れずに買い、活気があるタイの中華街を後にした。現地に住みついた中国人たちにとっては、中華街は彼らが好む食文化を支えるだけではなく、頑張る力を引き出す原動力でもあるような気がした。
「ゴザ一枚、枕一つ」で故郷を離れた中国人たちは、富を求めて船に乗った。タイで自分の生活基盤を立派に築き、たくましく生きている。その成功は世界中の中国人に大いなる勇気を与えたに違いない。そして、精神的拠所としてチャオプラャー川沿いに多数の寺廟が建てられている。航海の平安を祈る媽祖廟、商売繁昌を祈る関帝廟などでは多くの中国人が集まって、篤く信仰している。寺廟の建設及び修復に力を注いでいる。それは中国人としてのアィデンティティが強く求められている証である。異国で自分の祖国の文化に触れ合えて、中華文化・社会が異国の文化・社会に浸透し、融合していることを誇りに感じた。中国の子孫にとって、こんな幸せなことはないでしょう。
今回の旅は、ぴかぴか光る色鮮やかな寺院、バンコクを流れるチャオプラャー川沿いに生活する水上集落、海外の観光客で賑わうバンコクの街角といったタイの魅力を満喫しただけではなく、中国人としての誇りを再び実感させてくれた旅でもあった。    

 
※※写真のキャプションタイ・バンコクの中華街アユタヤー時代の遺跡の前で(筆者)チャオプラャー川沿いの水上集落チャオプラャー川沿いの関帝廟





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