中華街でニイハオ!
闘 TOU


金廣照さん


 「外国籍県民かながわ会議」はこのほど、岡崎洋県知事への提言「外国人にも住みやすい神奈川に向けて」をまとめた。
 神奈川県では外国籍県民がこの10年間に約2倍、12万人6000人を超えた。この外国籍県民の声を、国籍・民族・文化の違いを超え地域でともに暮らす仲間の声として県政に反映させるため、県は1998年11月にこの外国籍県民かながわ会議を発足させた。公募で選ばれた20人はこの2年間、議題の選定から関係施設の見学、研究会の設置など、自主的精力的に活動してきた。
 この会議の委員長として提言をまとめたのは金廣照(きむかんじょ)さん、49年生まれ、52歳。
横浜中華街といえば中国料理関係の店ばかり…?いや、すしや焼き肉の店もある。市場通りの先にある「焼き肉テイマン」、金廣照さんはここのあるじ。店名は二人の民族運動指導者の名前を一字ずつ、テイとマンをもらった。金さんは父君が韓国・済州島から来日した二世。「ここはだれでも来て住人になれる、排他的じゃないんだ。そういう伝統的なよさが中華街の原点としてあると思うね。」
「私は横浜中華街のこの場所で生まれ、育ち、地域の市立元街小学校へ通いました。この学校は私の「共生」の原点なんですよ。」
 中華街を含むこの元街小学校の学区は昔も今も外国人が多く生活する地域。近くにインターナショナルスクール・中華学校があり、また小学生のころは各クラスに10人くらい、中国人、韓国朝鮮人、混血の子がいるという環境で、放課後も仲良く遊んだ。「この小学校の良さが分かったのは青年になってからなんだけど、ごく自然な形でみんな共生してましたよ。」
 「あのころ中華街には〈三国子〉という少年野球チームがあって、背中に日本・中国・韓国の旗をつけて野球をしてたんですよ。子どもたちはそれぞれ本名や通り名、母親の姓を名乗っているけど、自分が何人かということはもちろん知っていたし、お互いに分かっていたね。でも日本人と韓国人とか、日本人と中国人というような集団の争いにはならなかった。」
 「上智大学生のとき初めて父の故郷済州島を訪ねたことで、韓国人として生きなければいけないんだ、と強く思うようになった。」それまで使っていた日本名金波廣照(かねなみひろてる)でなく韓国人金廣照として生きることを決意する。高校二年生の時洗礼を受けている金さん、その時から在日大韓キリスト教会へ通い、大韓民国民団へ出入りし、在日本韓国YMCAでボランティア活動を続けてYMCAに就職。以来、子どもに韓国文化を教え、国際協力にかかわり、あるいは「横浜の差別と闘う会・信愛塾」事務局長として人権問題に取り組み、教育委員会の人権教育の副教材作成を手伝い、そして講演活動…。「ぼく自身の生き方も、職場も団体も、人権ということに敏感だったんです。」
 報告書は、教育文化から社会生活にわたり、外国籍県民共通の身近で切実な一九の提言をする。学校での国際理解教育を多文化共生の視点から進めるよう提言し、子供の教育への配慮・外国人学校に言及する。提言はまた、外国人が住宅を借りにくい現状に対応する居住支援システムの整備を強く求め、出入国管理制度・多言語情報提供の充実・外国人労働者問題・医療問題に及んでいる。
日本人も外国人もともに考えともに行動するネットワークを広げることが必要。「情報とマインドを共有して、参加していっしょに作り上げていきたいんですよ。」「NGOとの協力で、国際理解・多文化共生と住宅関連の研究会はもう立ち上げました。一つずつ確実に変えていくことが大切だと思うんです。」力強い言葉が続く。
 委員のネットワークをきっかけに大韓民国民団と朝鮮総連の交流が始まったという報も聞く。
外国人にも住みやすい神奈川になりますか?
「なりますよ、ならなきゃね。」
(インタビュー 新倉洋子)

 






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