春節と餃子


【陸汝富(北京放送)】

 イラスト/浅山友貴



 春節という名が見られるようになったのは近代に入ってからのことである。横浜とも深い関係をもつ孫中山先生は辛亥革命を指導し、ラストエンペラーで知られる清王朝を翻した。その年1912年に、国際的な陽暦が取り入れられた。
 ところが民間では、元旦といえば陽暦の元旦より、旧暦の元旦に親しみなじんだ。だが陽暦の元旦、旧暦の元旦と元旦が二つ重なり、どっちかというと煩わしい。そこで誕生したのが春節というわけである。
 旧暦の元旦は決まって、二十四節気の立春前後、春の気配が感じられる時期にやってくる。これは北宋の政治家、王安石が『元日』という詩の中で「爆竹の声中一歳除(つ)き、春風暖かさを送りて屠蘇に入らしむ」と歌っていることからも知られる。そこで、旧暦の元旦を春の節句、すなわち春節と名付けたのである。中国では今も一年を通して最も盛大な祝祭日となっている。ちなみに、元旦は1日しかお休みがないが、春節は3日間の連休で、前後の土日がくり上げられたりしてゴールデンウィークとなる。

 さて、春節の食べものだが、その昔、春節といえば餃子一色。「餃子を食べて初めて春節を迎えた気分になる。」とも言われたほどである。いわば、餃子は春節の特有食品で、欠かせないものであった。
 1978年から始まった改革開放が進む中で、中国庶民の生活レベルは向上した。これにともない、餃子はいつでもふんだんに食べられる食品となり、冷凍食品にもなって店頭に並び、いまや餃子は春節だけの食品という特権を失いつつある。

 また、春節の食卓も豊富多彩となり、料理が食卓いっぱいに並ぶ。それでも餃子は主役としての地位を揺るがすことがない。不思議なもので、春節の食卓に餃子が欠けるとどうも落ち着かない。餃子あっての春節なのだ。最近は更に家族ぐるみで、春節を迎え祝って料理屋で一卓設ける光景をよく見かけるが、それでも家に帰ると餃子が待っている。

 ところで、最近の中国でも核家族化が進んでいる。これまでの一家四代が同じ屋根の下で暮らす「四世同堂」は今ではほとんど見られなくなった。その上、普段はそれぞれの仕事に追われ、一族の者が集まることもめったにない。春節は日頃顔を合わせない家族が一堂に会する絶好の機会でもある。
 遠くにいる者も、皆帰省して親元に戻る。その時の家族のコミュニケーションの格好の場が、餃子づくりなのだ。ガヤガヤワイワイと皆がそろって餃子をつくりながら、よもやま話に花を咲かせる。なんとも言えない和気あいあいとした雰囲気がみなぎる。

 こんなふうに、餃子は家族のきずなを結んでくれる。春節に餃子が欠かせないのも、こんなところにあるように思えてならない。餃子はおいしい。が、それ以上に餃子づくりによってかもし出される雰囲気がおいしい。 


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