受験シーズン

【陸汝富(北京放送)】


イラスト/浅山友貴





 北京の6月を飾る花はなんといっても、ねむの花であろう。新緑の5月をすぎると、緑一色のいささか単調な北京の街を、紅色の房のような花を咲かせて色づけてくれるのが、ねむの木である。中国人はこのねむの木を「合歓(ホーホアン)」と呼ぶ。「合歓」を辞書で調べてみると「相愛する男女が一緒になること」とある。夜になると葉を合わせることになぞらえてそう呼ぶのであろう。葉を合わせて眠るようだというより、ずっとロマンチックではなかろうか。

 ところがこの花は受験生には嫌われる花である。別に縁起とは無関係で、ただ咲く時期がタイミングに合わないのだ。そのころはちょうど受験シーズンに当たる。この花を見ると受験日がいよいよ迫ってきたことを知り、なんとなく気のあせりを覚え、そのために恨めしく思えるのだろう。
 中国では日本と違って9月が新学年の始まりで、7月が学年の終わりである。つまり、6月の末から7月のはじめにかけてが受験シーズンというわけだ。学年末テストに始まり、中学、高校の進学試験、そして、狭き門といわれる大学の入学試験とつづく。学生にとって、こんないやな時期はあるまい。そんな時期に咲く花までが憎らしく見えるのだろう。

 このころはまた、北京は日中の気温が36度から38度という猛暑の続く季節でもあり、テスト用紙も汗でにじむほどで、受験生には泣き面に蜂である。校門の外では、受験生の親たちが木陰に立ったまま、緊張した面持ちで試験の終了を待っている。
 不安なまなざし、落ち着かぬ表情、そのころになると、こうした親たちの姿がテレビの画面に映し出される。それを見る度に、ふと口をついて出るのが「可憐なるかな天下の父母」の一句である。

 黄河の上流に禹門口という地名を見るが、以前は龍門といった。黄河の水はここで大きな落差をつけ、すさまじい音をたてて流れ落ち滝となる。この滝をのぼりきった鯉(こい)は神通力を得て龍に変わるという伝説があり、鯉の滝のぼりは立身出世のたとえにされている。これにならって現れたのが日本の鯉幟(こいのぼり)であり、中国の「望子成龍」のことわざである。いずれも、我が子に託す親の期待が込められている。

 最近中国では子供の教育に惜しみなく大金をつぎ込む。これを「智力投資」という。私の住む放送局の社宅と、大通りを挟んで向かい合っているのが中央音楽学院であるが、平日はとても静かなキャンパスも、土日は子供を対象にした塾が開かれているので、ひときわにぎわう。昼ころに授業が終わると、ケースに入った楽器を引きずるようにして出てくる幼い子供、それを迎える子供の両親、こんな情景を暇にまかせ、ベランダから眺めている私である。

 同僚から聞いた話だが、家庭教師としてピアノの先生をつけると、その謝礼金が一時間で80元という。一般サラリーマンの月給が600元から800元であるから、「智力投資」が家計簿に占める割合がいかに莫大であるかが分かっていただけよう。「望子成龍」も鯉幟を青空に泳がしているだけでは済まされないのだ。



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