慶應義塾大学文学部
史学科東洋史専攻・卒
黎 莉
1902年・横浜

 ここに1枚の写真がある。この写真は1902年ころに横浜で撮られた写真で、写真の真ん中にいる人が私の祖母の祖父(高祖父)にあたる人(李貴昌)で、開港当時に職を求めて広東省南海県から出てきた。一番左にいる子供(当時5歳くらい)が祖母の父(李徳成)である。

 私の祖父(黎大醒)は1926年ころ(当時20歳)に日本に職を探しに来たので、祖母の血筋の方が日本在住歴が長いことがわかる。現在の華僑を見て裕福なイメージを持っている人も少なくないだろうが、横浜華僑のほとんどはこうした裸一貫で横浜の土を踏んだ貧しい中国人たちなのである。

 他の人から見ればこの写真は、ただの中国人が写っているだけの何でもない写真だが、私にとっては弁髪をし、チャイナ服を着る一人の人物が自分とかかわりを持つという事実を目のあたりにし、自分が中国人であるということを再認識した1枚の写真であった。この写真は私に改めて自分自身を見つめ直すきっかけを作ってくれたのである。

 華僑に生まれ育った私が、自分が中国人だと実感する機会はあまりない。日本人の友達の方が多く、日常ほとんど日本語を話し、日本の社会で生活している私はほとんど日本人化してしまっているといってもいいだろう。だからこの写真を見たときなんだか面白いと感じ、自分がやっぱり中国人であったのだと実感したのである。

 今回、大学の卒業論文を書くにあたりこの写真と出会うことになったが、この写真との「出会い」は今までで最も大きな影響を私に与えてくれたように思う。



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