(No.5-9712)【曽徳深】
 「はるかはなれた そのまたむこう だれにでもすかれる きれいなむすめがいる」

 おふくろの味」や「母さんの味」を看板に掲げている店や商品は少なくないが、「奥さんの味」を売り物にしているのにはほとんどお目にかかれないのはなぜか?家庭にあって、同じ人が作った食事が、子供にとって生涯記憶に刻み込まれる「母の味」となり、亭主にとっては彼の「母の味」の下位におかれる、不思議である。母子関係と夫婦関係の成り立ちとありようから考えると回答が出てくるのかもしれない。

 心の状態によって味覚が変わってくるのはだれにも経験がある。心配事や悩みがあると、なにを食べてもおいしく感じられない。コックが朝の出がけにかみさんとけんかしてくると、作った料理にもろにそのけんかの雰囲気が出てしまう。一回の食事には、作る人、給仕する人、食べる人の心模様がおりなす物語がある。

 10月中旬あるテレビ局が中華街を中継放送するため、記者が事前取材で数日街を歩いて、調味料を買い求める人がとても増えたことを発見した。家庭でおいしい中華料理をと、オイスターソース、豆板(トウバン)ジャン、XOジャンを買っていく。確かに一さじの調味料が料理を決めてしまう、だからプロの調理人は基礎調味料のほかに自分のひと味に工夫を凝らす。

 若いころ、世界を貧乏旅行したルポライターが、「金がないので、大した物も食べられなかったが、どれもがおいしかったという思い出しかない、それは青春という調味料があったおかげだと思う」という記事がとても印象に残っている。

 「こころ」という調味料に勝るものはないのでは……。


目次ページへ戻る

横浜中華街
おいしさネットワーク