門松と春聯

【陸汝富(北京放送)】


イラスト/浅山友貴





 北京は11月の末から真冬に入り、12月は一年の中でも1番寒い季節で、この寒さは翌年の1月まで続きます。12月の声を聞くと、もうすぐお正月です。
 お正月といえば日本では、家々で門松が飾られますが、中国では春聯といって、一対の赤い紙に縁起の良い対になる言葉や、新しい年に寄せる抱負や願いを表す句を書いて、玄関や応接間の壁の中央に貼ります。この春聯がなんと日本の門松と全く同じルーツを持つのだそうです。
 門松は、元はといえば松ではなく桃の木が使われ、桃の木のお札を表門の両側に飾ったのが始まりだと聞いています。中国には、鬼は桃の木を恐れるという言い伝えがあります。厄よけに桃の木を使うわけもここにあるようです。
 戦国時代、今から2千年以上も昔、中国にはこんな神話がありました。

 「東海の向こうに、大きな桃の木が あり、その枝は3千里もあるといわれ、東北に伸びる枝のすぐそばに鬼の巣があり、鬼が出入りする門がこの枝の真下にあった。一方、桃の木の下には2人の神が住んでおり、鬼の行動を監視していた。鬼達が悪事を働けば、直ちに2人の神に捕らわれて虎のえさにされるのだ。そのため、鬼達はひどく恐れた。鬼が恐れたのはこの2人の神であったが、2人の神が桃の木の下に住んでいたことから、桃の木を見ると2人の神を連想するので、鬼は桃の木を嫌った」というのです。

 そこで、鬼よけ、厄よけに桃の木を使うようになったというわけです。初めは桃の木で2人の神を象った人形を彫刻して玄関の両脇に置き、厄よけにしましたが、それでは余りにも手間がかかるので、次に考え出したのが桃の木の板に2人の神の姿を描くことでした。これがいつの間にか絵を描くのではなく、文字を書くことに変わり、長い年月の中で、現在のような赤い紙に文字を書くようになり、これが春聯の起こりだといいます。
 そういうわけで、いまでこそ似ても似つかぬ、片や門松、片や春聯もその大昔は同じものだったというわけです。

 おなじルーツを持つ門松と春聯、このように、日本と中国では、風習がとても似ているものが多いようです。その一つに、中国も日本もお正月にはお屠蘇(とそ)を酌み交わし、新しい年がすべて順調であるよう願いますが、お正月にお屠蘇を飲む、この風習も同じです。飲む時は中国では順序があって、その順序にももっともらしい理屈がついています。
 曰く「年少者 新しくとしを増す故、慶祝すべし、よって先に飲む」といい、「年長者 新しく年を迎え一層老いたり、よって喜ばざる酒、最後に飲むべし」と言う。
 でも、今はこんなことにこだわる人はなく、若きも老いたるも、新しい年はだれにとっても夢を誘い、希望に燃えるもので、一緒に杯をあげて「乾杯」というのが本音のようです。

 今も毎年10月の下旬ころになると、香山は紅葉狩りに押し寄せる家族連れや若いカップルでにぎわう。このころはちょうど旧暦の9月9日の重陽節でもある。重陽節には、お年寄りがみな山に登り、山頂で菊酒をくみかわし、たがいに長寿を祝い合う習わしがある。それも格好の場がここ香山なのだ。そんなわけで、このころの香山は山も人の山で、ゆったりと酒をくみかわすような雰囲気もなければ、またそんな場所もなかなか見つかるものではない。それでも北京市民は香山に登って一年1度の紅葉狩りを楽しまなければ気がすまないのだ。
 紅葉を見て初めて秋の訪れを感じ取り、長い冬の到来に向け心の準備ができるのだともいう。



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