エアコン

【陸汝富(北京放送)】


イラスト/浅山友貴





 このところ、家にいても騒音で本も静かに読めない、いらいらした毎日を送っている。電気製品の急激な普及でこれまでの電線では負荷オーバーという状況が現れ、ヒューズが飛び、停電することが日常茶飯事となって久しく、とても不便であった。特に去年の夏は、30数年来の暑さということで、エアコンを付ける家が急増し、毎日夜になると決まって停電するといった具合で、一部の家ではその影響か、家電製品に故障が起こり、住民からも文句が出てくる始末。その上いつ火事になるか分からないという恐れもあるということで、やっと、この3月から電気配線の更新作業が始まった。

 私の住む放送局の宿舎は1階から18階までが1ヶ月あまりもの間、てんやわんやの大騒ぎで、1日として心静まることがなかった。4月も半ばを過ぎやっと工事が終わって静かになったかと思うと、今度はエアコン装置の取り付けで、ほとんど毎日のこと、どこからかゴーゴーというコンクリートの壁に穴をうがつ音が絶えず聞こえ、閉口してしまう。

 でも、文句ばかりも言っていられない。80年代の初期に建てたこの建物、当時、電気製品がこんなにも早く普及するとだれが想像していたであろう、住宅の設計者もまさかと思っていたに違いない。無理もないことだと思う。電話線も事前に配線されていないのだから。私たちの宿舎などは電信柱から直接各部屋に電話線が引かれ、それこそクモの巣のごとく縦横に走っている。見るからにお粗末なことで、風のひどい日などは、電話線が風に吹かれ大きくゆれて窓ガラスをたたき、ガラスが割れまいかとひやひやする。

 そんな状態であるのでエアコンどころではないのである。エアコン装置が長い尾を付け、一つ一つの窓際の壁を這うようにすえつけられているのを見ていると、それがあたかも大小のこぶのように見え、建物全体の美が崩されていささか見苦しい感じがしないでもない。もし、これを画一的に企画すれば、少しは格好がつくのではないかと思うが、それぞれが勝手に取り付けているのでしかたがないようだ。

 それにしても北京市民の生活環境の向上の速さには驚かずにいられない。5年ほど前までは私自身エアコンなど自分にとっては縁の遠い高嶺の花だと思っていたし、エアコンを付けている家を見ては「自然の風のほうがずっと気持ちがいいわよ、エアコンなどどうでもいいわ」と負け惜しみみたいなことを言っていた家内も、「今年は応接間だけでもエアコンを付けましょうよ!」と言い出す始末。

 中国は今、確かにいろいろと問題を抱えているが、市民の生活は確実に一歩一歩向上しているのだ。月給取りにとっても、エアコンはもうすでにぜいたく品ではなくなったのだとつくづく感じた。

 


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