(No.9-9808)【曽徳深】
 闘争心と愛国心

 若い友人が言う「ネットを挟んだ球技、ピンポンやバレーボールより、サッカーやバスケット・ラグビーがおもしろい。中でもサッカーが断トツ、選手がぶつかり合う、あれは格闘技だ」と。

 サッカーのワールドカップフランス’98を見て闘争心と愛国心を考える。食欲と性欲は人間が生存していく上で欠かせない本能である。では闘争本能はどうか?人類がこの地球上に出現したころ、闘争力が強くない個体は、おそらくより多くの食べ物を得ることや子孫を残すことが難しかったろう。が、時が流れ文明化するに従い、社会生活を営む上で、闘争本能は幾重もの装飾の衣服を着せられる。子供たちがけんかのやり方を知らず陰湿ないじめに走るのは、闘争本能が自然に正しく発露できないためなのかもしれない。激しくファイトしていた選手が、終了のホイッスルが鳴ると同時に対戦相手と抱き合って健闘をたたえあう光景はすばらしい。よく鍛練し、コントロールされた本能は人に感動を与える。

 スポーツ競技が人間の闘争本能をゲーム化したものなら、数万の観衆が国旗をはじめ色とりどりの旗を振り回す応援の熱狂のもとはなにか?フーリガンが騒動を起こす熱狂のもとはなにか?選手たちは普段はクラブチームに所属し、他国のチームで主力として活躍している選手も少なくないという。でもワールドカップがクラブ対抗であるなら、こんなに盛り上がることもないだろう。

 闘争本能と愛国心の結合が熱狂のもとである。愛国心の中身は複雑多様、それによって起きる事象も多様である。

 それは次の機会に……。


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